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【世界自転車レース紀行】(13)台湾 吹き付ける強風がドラマ演出
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第3ステージ、彰化県でのレースを終えて、アジア人最高位の内間康平(日本ナショナルチーム)が、八卦山の大仏殿下で表彰を受けた=2014年3月、台湾(田中苑子さん撮影) 3月9日から13日まで、5日間の日程で開催された「ツール・ド・台湾」。台湾で開催される自転車ロードレースで、初開催は1978年で、歴史の浅いアジアのロードレースの中では伝統あるレースの一つだ。最近はアジア最大の自転車展示イベント「台北ショー」と連携することが多く、今年も台北ショーが開催される週末に、台北でレースが開幕した。
台北ショーを訪れる欧米からの多くの自転車業界関係者が象徴するように、現在、台湾は選手たちがレースで使用する高級ロードバイクの素材であるカーボンの加工技術において、世界の最先端を行く。多くの名門欧米ブランドも台湾の技術に自社のラインアップを託しているような状態で、台湾中部の都市・台中には数えきれないほどたくさんの自転車メーカーが存在している。
自転車レース「ツール・ド・台湾」は、そんな台湾での自転車競技人気を根強く支える。5日間のレースは、小雨に見舞われた台北の観光名所「台北101」の麓で幕開けし、そこから台湾の西海岸を南下するようにして、桃園、彰化、台南と進んで、最終ステージは台湾の南端、温暖な気候の屏東で開催された。
レースが動いたのは第2ステージだった。朝から海から吹き付ける強い季節風に見舞われて、吹き飛ばされそうになるくらいだったが、コース中盤の山岳で、約30人ほどの大きな先頭集団が形成された。彼らは風を利用して、後続を引き離すことに成功。その後も激しい加速により、ゴールまで約35キロ、桃園国際空港に隣接する海軍施設の周回コースに入ったときには16人ほどの選手に絞られ、彼らが後続に4分36秒ほどの差を付けてゴール。途中でボーナスタイムを獲得したレミ・ディグレゴリオ(フランス、ラポムマルセイユ)が総合首位に立った。
また16人の先頭集団に唯一アジア人選手として入った内間康平(日本ナショナルチーム)も、この日のステージでアジアンリーダー(アジア人選手最高位)となり、両選手ともここでのリードを最終日まで守り切った。
≪日本チーム迎える温かい声援≫
「ツール・ド・台湾」へは毎年、日本からもチームが参加している。シーズンの序盤、国内のレースがまだ立て込んでいないことや飛行機で3時間ほどというアクセスの良さから、多いときでは日本から3チームほどが参戦する、人気の海外レースだ。
今年はナショナルチーム(選抜チーム)のみの参加となったが、2011年の東日本大震災の直後に開催された大会では、福島晋一(ナショナルチーム)がステージ優勝し、多大な義援金を送ってくれた台湾の人たちに感謝の気持ちを伝えたことは記憶に新しい。
台湾は親日国として知られており、たくさんの日本文化が台湾で親しまれている。例えば、街には見慣れた日系のコンビニエンスストアがあり、中に入れば、日本製のお菓子がそのままのパッケージで売られている。台北と高雄を結ぶ台湾高速鉄道も、日本の新幹線技術が投入されており、新幹線とよく似た車両が毎日忙しそうに南北に走っている。そして、年配の人から若年層まで、非常に多くの人が日本語を話す。
そのような親日国では、いつも日本人選手や競技関係者は温かく迎え入れてもらっている。日本人選手が表彰台に登れば、「おめでとう!」、沿道では「頑張ってください!」と歓声が飛び交う。両国の友好的な関係が垣間見える大会だった。(写真・文:フリーランスカメラマン 田中苑子/SANKEI EXPRESS)