SankeiBiz for mobile

【円游庵の「道具」たち】時を調理する 丸若裕俊

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSのトレンド

【円游庵の「道具」たち】時を調理する 丸若裕俊

更新

 来月に江戸の大祭“三社祭”を控えた東京の名所浅草には、祭りに興じる人々とともに歩んできた、江戸っ子らしいこだわりを感じさせる通りがある。全国でも珍しい、調理道具を中心に取り扱う店舗が200弱並ぶ合羽橋通りである。今回は、その中でも私が月に数度訪れる“釜浅商店”とそこで取り扱われる釜をご紹介したい。

 釜浅商店は、明治41(1908)年創業。先人たちの生み出した道具を軸に料理をおいしくする形を追求し、和包丁、鉄器そして、店名にも由来する釜などの料理道具を販売している。彼らは自らを“案内人”と呼んでいるが、店を訪ればその意味を知ることができるだろう。

 漠然とこういった物があったら良いな、という来客者にも、こだわり抜いた逸品を求める来客者にも、道具に対する深い愛情とおもてなしの心で、道具との素晴らしい出会いを演出してくれる。

 笑顔を生む品

 縁あって昨秋、京都某所にてかまど(京都では“おくどさん”と呼ぶ)で釜を使用し、ご飯を炊く機会があった。1979年生まれの私にとって、その体験は、全てが新鮮なものだった。特に、炊きあがり釜の蓋を開けた瞬間に立ち上る白い蒸気とともに広がる甘く濃い香りは、コメそのものの生命力の強さを感じさせるようであったし、口に含んだときのふっくらとした舌触りと深い味わいのバランスの素晴らしさ、香ばしいおこげのうまさは目を見張るようであり、文字通り「同じ釜の飯を食った」人々を幸せな笑顔へと導いてくれた。

 この経験を経て、私は、慣れ親しんだご飯という存在をここまで高める立役者となった“釜”という存在に関心を持つことになった。

 それからすこしたったある日、いつものようにふらりと釜浅商店を訪れ、顔なじみの案内人と世間話をしていると、とある釜が目に留まった。興味深そうに逸品を眺めていると、案内人がにこやかに話を始めた。

 雪国ではいろりが中心となったが、その他の広い地域において、釜は永らく人々の食卓をつかさどっていた。

 羽釜(はがま)と呼ばれる鉄製の釜部分と木製の蓋からなるその品は、確かに現代の家庭で見ることはほとんどないが、シンプルでありながら無駄のない美しい形状をしており、人をひき付けるに十分な存在感がある。無論、存在感だけでなく、機能的にも全ての面で優れているのだという。

 話を聞く程に「使ってみたい」という欲望が募り自分でも「また悪い癖だ」と分かりながらも、店を後にするときには真新しい羽釜を持ち、“おいしいご飯の炊き方”という虎の巻まで手にしていた。

 釜のある暮らし

 実際に購入してみて、その使用上の簡単さには驚かされた。使用方法はいたってシンプル。30分火にかけその後少しおくだけである。手間といえば、10分ごとに火加減を微調整することだが、その炊きあがりを知れば、苦労どころか期待に胸膨らます至福の時間だと分かるはずだ。確かに不規則な生活を送る自分にとって、毎日その釜を使用するということは難しいが、休日に釜でご飯を炊くということは、とても良い習慣になりつつある。

 私は、単におしゃれな暮らしや懐古主義の観点から、現実離れした古き良き生活習慣を勧めたいのではない。現代社会において、日々の中でこなさなければならないことが山積の現実を考えれば、たとえ30分でも一つのことに時間を取られるということは避けられるなら避けたいというのは、自然な考えだ。

 しかし、合理性や効率のみを追求して日々過ごしているわけではないだろう。忙しい毎日を過ごしながらも、自らを見つめるため、リフレッシュのため、あるいは新しいアイデアの糧とするため、個々で選択は異なるが、われわれは“無駄な時間”を楽しんでいる。スポーツ、読書、旅、買い物など、数あるこの時間の過ごし方の選択肢に、是非“釜でご飯を炊く”を追加していただきたい。他の選択肢に劣ることなく、貴方の人生をより楽しくし、何よりも素晴らしい食卓を体験できるであろう。

 釜浅商店はなぜ、長い年月、多くの料理道具とともに釜を販売し続けているのか。それは、単に釜が店の伝統的かつ象徴的な品だからではない。私たちの食卓に欠かせないご飯をおいしくし、炊飯から食事までの一連の行為を豊かに演出する最良な道具として、必然的に提供しているのである。(企画プロデュース会社「丸若屋」代表 丸若裕俊/SANKEI EXPRESS

 ■釜浅商店(かまあさしょうてん) 明治41年創業の浅草合羽橋の道具店。良い道具には良い理があるという信条のもと100年以上料理人や道具と向き合う。道具ごとに専門のスタッフが相談に乗りながら、永く付き合える一品を紹介してくれる。包丁の砥ぎや銘入れ、道具の修理なども受けている。

 【ガイド】

 丸若屋が運営し、5月よりOPENとなるパリのショップ「NAKANIWA」にて4月7~12日まで「釜浅商店」による『日本の庖丁とその背景-EXPOSITION VENTE DE COUTEAUX JAPONAIS-』と題したプレオープンイベントを開催いたします。パリを訪れる際はぜひお立ちよりくださいませ。HP:www.nakaniwa.fr/。【問】丸若屋(電)03・3865・7801

ランキング