ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
国際
フィリピン台風被災地 ボランティア隊に参加(上) 「震災支援の恩返し」 クリオン島へ
更新
巨大台風で甚大な被害を受けたフィリピン・パラワン州クリオン島では、3カ月後の2月時点でも、倒壊したままの家屋がいたるところに残されたいた=2014年(宮城学院女子大学_有志学生記者、作間温子撮影)
昨年(2013年)11月に巨大台風の直撃を受けたフィリピン。1906年にハンセン病患者の療養所が設けられ、一時は世界最大規模の約7000人の隔離患者が暮らしていた西部パラワン州クリオン島も病院施設や家屋が崩壊するなど大きな被害を受けた。復旧が思うように進まないなか、ハンセン病患者の支援で縁のある日本財団が、東日本大震災の復興支援でも活躍している「日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)」と連携し、大学生のボランティア隊を派遣することになった。震災時のフィリピンからの支援に恩返しがしたいと参加した宮城学院女子大学3年の作間温子さん(21)が、その活動をリポートする。
□今週のリポーター 宮城学院女子大学 有志学生記者 作間温子さん
東日本大震災時に東北はフィリピンから多大な支援を受けた。そのことを知り、昨年(2013年)11月8日の台風ハイエンの直撃で甚大な被害を受けたフィリピンの復興支援のために何かしたいと考え、ボランティア隊への参加をすぐに決めた。
「HOPEプロジェクト」と名付けられた派遣事業の第一陣は(2014年)2月11~20日の9日間の活動に19人が参加した。日本から首都マニラまで5時間、さらに国内線で南へ1時間のパラワン州のブスアンガ島から小さなボートに乗り込み、クリオン島を目指した。
クリオン島は3カ月経過した2月の時点でも、多くの家屋が破壊されたままになっており、修復が急務だった。この島は、アメリカ統治時代の1906年にハンセン病療養所が作られ、フィリピン全土から患者が集められた歴史がある。一時は世界最大規模の7000人もの患者が隔離され、日本の瀬戸内海に浮かぶ長島(岡山県)に30年に設置された「国立療養所長島愛生園」は、クリオン島の療養所がモデルになったという。
家族と引き離され、強制的にこの島に送られた人たちは、どんな思いで生活していたのだろうか。
クリオン島は1995年に地方自治体として認められ、現在はハンセン病回復者やその家族が暮らしている。
現在も本島からのアクセスが不便なため、台風後も支援物資が届かなかった。そのため、住民自らが家屋の修復をするしかなかったが、ハンセン病回復者には困難な作業だった。そこで、「日本財団学生ボランティアセンター」の呼びかけでボランティアが派遣されることになったのだ。
船のエンジントラブルなどに見舞われ、やっと島に到着したのは日本出発から3日後の朝。船から見えた島の山肌には、かつてのアメリカ統治を思い起こさせるイーグルの絵が描かれていた。天気は快晴、気温は30度。青々とした南国の海は、島のつらい歴史とは対照的に美しく感じた。やっと島にたどり着いた安心感、これからの活動への不安と期待。いろんな気持ちが入り交じっていた。
島に着いた1日目は、回復者で結成された「クリオン楽団」の力強い演奏などで島民から温かい歓迎を受けた。「日本も震災復興の途上にあるのに」というねぎらいの言葉までかけてもらった。
ハンセン病に関する資料館やかつて健常者と患者の生活区域を分けていた門などを見学し、島が歩んできた歴史を肌で感じた。私たちの目的は、台風で被害を受けたハンセン病回復者の家屋を修復することだが、同時にハンセン病に対する理解を深め、回復者の人やその家族と交流することも大切なことだと、改めて思った。(今週のリポーター:宮城学院女子大学 有志学生記者 作間温子/SANKEI EXPRESS)