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「金銭至上主義」サポーター軽視のW杯 逆効果ではないか?
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W杯日本代表の発表会見に臨む(左から)日本サッカー協会の原博実専務理事、日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督、矢野大輔通訳=2014年5月12日、東京都港区高輪(川口良介撮影)
日本時間6月13日未明、サッカーの世界最高峰「2014FIFAワールドカップ(W杯)ブラジル大会」が始まる。「SAMURAI BLUE(サムライブルー)」をまとう日本代表のメンバー23人は、5月12日に行われた日本サッカー協会主催の記者会見で発表された。
会見場には300人以上の報道陣が集まり、その前後から日本のほとんどのメディアが、スポーツ新聞化、スポーツチャンネル化し、それがW杯終了まで確実に続くことになる。
その熱気がどれだけ、「凄い」ものなのか。日本最高の政治権力者である安倍晋三首相の記者会見でも集まる記者が100人を超えることはまずない。最近、W杯代表発表と同規模の会見は、STAP細胞をめぐる理化学研究所の小保方晴子(おぼかた・はるこ)氏の弁明会見ぐらいなので、今年上半期の最大のメディアの関心事は、STAP細胞問題とW杯が双璧ということになる。
メディアが、オーディエンス(読者・視聴者)の関心を察知して動くのは「市民サービスの原理」からいって当然だ。それが、メディアの経営にプラスになるならなおさらである。さらに、スポンサーには自社製品の販売促進に、選手にはその後の安定した生活の保障に、そして、国家にはナショナリズムの高揚に絶大な効果を発揮する…となればいいことずくめである。
だが、メディアとスポーツの社会的役割という面からは問題なしとはいえない。今回の会見でのサッカー協会のやり方はスポーツ基本法の精神に反しており、サッカーを底辺から支えているサポーター、ファンが軽視されていた。
会見では、サッカー協会の原博実専務理事の冒頭挨拶に続き、ザッケローニ監督が選手名の読み上げられた。原氏はその挨拶をこう締めくくった。
「最後になりますが、ずっとサポートしていただいたキリンさんをはじめ、スポンサーの方々、Jリーグをはじめ代表選手を出してくれたクラブなどの方々、そして普段から日本代表チームを応援してくれているサポーターの皆さんに感謝申し上げたい…」
この感謝対象の順番は監督の発言でも同様だった。2人の真後ろにはスポンサー名が書かれたパネルが、そして使用マイク前にもメーンスポンサー会社の飲料ボトルとカンが、これ見よがしに置かれていた。結果として、メディアの発表速報はすべてそれを映さざるを得ないようになっていた。
巨大な金の動くスポーツ大会には広告会社がつき、スポンサーを集め、その意向を先取りした広報戦略が立てられる。だが、ここまでサポーターをバカにするのは、広告としても逆効果ではないかと筆者は心配になった。米国の米元労働長官のロバート・ライシュ氏は、こうした社会状況を『暴走する資本主義』(原著は2007年発刊、和訳は東洋経済新報社)として批判している。
日本サッカー協会のホームページには、代表チームの「パートナー」として公式スポンサー・公式用具提供者・協力会社・マッチスポンサーの4つが挙げられている。自由市場社会では自らの資金で足りなければ、他社(者)から援助を受けるのは当然だが、それは本来のスポーツ活動の維持のためであるべきだ。金銭的に最後に支えているのは、そのスポンサーの商品を買うファンだからだ。
スポーツは、万人が平等に体を使って参加することができ、心身の健康を向上させ、社会生活をより豊にしてくれる。だが、現在の国際サッカー連盟(FIFA)や日本サッカー協会の考え方は、「金がすべて」という尺度で判断されているようにみえる。これでは、サッカーの魅力や社会的価値が矮小(わいしょう)化されてしまう。そこでは、サポーターやファンも、サッカー市場における「顧客」としてのみ存在している。
2020年には東京五輪が開かれる。金銭至上主義と決別し、単なる身体能力の向上にとどまらず、精神生活の豊かさを深めるための有効性についても議論を深める必要がある。スポーツを、自分たちの手に取り戻すことを真剣に考え、努力すべき時代にきているのではないだろうか。(同志社大学社会学部教授 渡辺武達