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政治
「芸術」とは言えない与党合意
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「政治とは可能性の芸術」と語ったのは、ドイツの宰相ビスマルク。だが、今回明らかにされた代物は「芸術」とは言い難い。自民、公明両党で実質的に合意した、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定案のことだ。行使を認める文章がある一方、憲法9条の政府見解は従来通りと読める部分もあり、玉虫色の側面があるのは否めない。「可能性」を追及した結果がこれとは、何とも嘆かわしい。
「私は国民の命と平和な暮らしを守る責任を負っている。行政府が憲法を適正に解釈するのは当然で、必要なことだ」
安倍晋三首相は6月24日の記者会見で憲法解釈見直しの必要性を重ねて強調した。
だが、閣議決定案をめぐっては、自民党の保守系議員から早速、懸念の声が上がっている。
「公明党内に『歯止めをかけないと武力行使がエスカレートする』との意見があるが、これは全体主義国家で起きても、民主主義国家の日本では起きない。法整備の妨げにならなければいいが…」
今回の閣議決定案は、随所に公明党への配慮がにじむ。閣議決定の文案に盛り込まれる、自民党の高村正彦副総裁が提案した「武力の行使」に関する新3要件。ここでは、「わが国」や「わが国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃が発生し、国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険」があれば、武力行使ができるとしている。
他国への武力攻撃でも日本が武力を行使できるとした部分が、焦点の集団的自衛権の行使容認に該当する。だが「わが国と密接な関係にある」を挿入し、「恐れ」を「明白な危険」に修正するなど、公明党の意向が色濃く反映された。
さらに「従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的帰結を導く必要がある」とも記された。今回の合意は憲法解釈の変更とは異なる次元の話だといわんばかりだ。
「武力の行使」について、原案では「国際法上は、集団的自衛権が根拠となる」としていたが、「場合もある」との文言を付け加えたことも見逃すわけにはいかない。公明党側からすれば「個別的自衛権が根拠となる場合もある」と読むことが可能で、国連が侵略国に制裁を加える「集団安全保障」措置も盛り込みたかった政府・自民党側からは「集団安全保障が根拠となる場合もある」と読むことができるようになった。
「究極の折衷案」というわけだが、公明党からはさっそく「この文言に集団安全保障は含まれない」(幹部)と政府・自民党を牽制(けんせい)する声が上がった。
そもそも集団安全保障をかたくなに認めない公明党の姿勢には疑問が残る。例えば、中東のホルムズ海峡をイランが封鎖するケース。「集団的自衛権」を行使して、自衛隊が戦時中の機雷掃海活動に参加している場合、国連安保理決議が出て多国籍軍が結成され「集団安全保障」措置に移行したからといって、撤退しては、国際社会の理解は得られまい。
閣議決定案に明記されなかった集団安全保障措置への自衛隊の参加について、高村氏は24日の記者会見でこう語った。
「日本有事の場合に個別的自衛権を行使していたと。その場合、国連決議が出たら、日本を守るためにやっていたことを、撃ち方やめになることはありませんね。というのが従来、政府がとっていた見解なんですよ。ということだけ申し上げておく。それ以上のことは言わない」
いわんとすることはよく分かるが、奥歯にものが挟まったような言い回しで国会審議を乗り切るのが難しいのは、言うまでもない。(坂井広志/SANKEI EXPRESS)