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公共放送に課せられた役割 渡辺武達

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公共放送に課せられた役割 渡辺武達

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8月27日に都内で開かれた第7回世界公共放送研究者会議で挨拶するNHKの籾井勝人(もみい・かつと)会長=2014年(提供写真)  【メディアと社会】

 8月27日から3日間、東京で「第7回世界公共放送研究者会議(略称、RIPE会議)」が開催され、筆者も31カ国計110人の一人として参加した。欧州諸国では公共放送の役割が大きく、このRIPE会議もフィンランド人学者の発議で、公共放送をいかにして健全な社会維持に活用できるかというテーマの基で、各国の公共放送局とメディア・ジャーナリズム専攻を持つ大学との共働作業で運営されてきた。

 民主主義の発達に資する

 今回の東京大会はアジアでの初開催で、「境界を越える公共放送」が主題。NHKと慶応大学が共同事務局を担当し、南米を除く全大陸からの参加があった。初日の基調報告「境界を越えるには」と、3つのシンポジウム(「21世紀の公共メディア」「アジアの公共メディア」「災害報道のあり方」)も活発かつ内容的にも豊かで、筆者の関心にも応えてくれるものであった。

 準備委員会は現代の公共放送が直面している境界を越える問題もしくは現象として、(1)国益思考(2)ソーシャルメディアの勃興(3)メディアへの市民参加(4)職業ジャーナリストと市民ジャーナリストの融合(5)公共メディアの概念と制度的変容(6)時代の要請に応えられる番組制作と技術開発(7)防災・減災活動への協力などを取り上げ、分科会で報告に基づき、活発な議論が展開された。

 ただ、率直にいえば残された課題もあった。まず、27日の全体会議の冒頭、何かと物議を醸しているNHKの籾井勝人(もみい・かつと)氏が歓迎挨拶で「NHKは公共放送であり、外部のいかなる勢力にも影響されない」と述べたが、実際の彼の言動には疑問もある。本来ならばここでは、放送法にある通り、「放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資する」とも言うべきではなかったか。

 同時にRIPE会議自体にも限界らしきものが見えてきた。その第1は、公共性についての議論が、抽象的なプロセスの問題としてだけ捉えられ、どういう話題をどのような切り口で扱うかといった具体的な議論が希薄であった。そのため、たとえば中国、韓国、日本からの参加者がいて、日本で開催されているにもかかわらず、「歴史問題」をどう報じるべきかについて真剣な議論にならなかった。

 第2は、欧米諸国研究者の多くが、自国(群)をデモクラシーのモデルとして議論する傾向があることだ。今回も、ミャンマーの放送関係者が、インドや中国、米国の各大使を招いて自国の外務官僚や学生たちと議論させる番組を作ったと紹介したら、欧米の研究者から「自国の政治体制をどうするのか」という詰問調の発言が出た。発言には、欧米が途上国に対し、「でも暮らしいい(デモクラシー)」植民地政治を行い、犠牲を強いてきたという反省がないものだ。

 第3は、肝心の公共性とは何なのかについて突き詰めた議論がなされなかったことだ。「他者との関係性」において、「公益性」がプラス面となる一方、「プロパガンダ(宣撫工作)」のマイナス面がある。その是正に公共放送は取り組んでいない。

 第4に、公人の公共的側面と私的側面の区分けについても議論されなかった。例えば、選挙で選ばれた政治家は有権者の期待に応え、付託された責務を果たさねばならない。とすれば、最低でも、いつ何時でもそれに対応するための連絡網につながっていなければならない。

 韓国で起きた多くの命が失われたフェリー沈没事故が起きた際の大統領と動静をメディアがそれを追求するのは当然だろう。日本でも、昨年1月に東京電力福島第1原発で汚染水漏れのトラブルが発生した際、石原伸晃(のぶてる)環境相の居場所が分からず適切な対応ができなったことが批判されたのは当然である。

 2001年には、米海軍潜水艦がハワイ・オアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」に衝突沈没させた事故の際、ゴルフをしていた森喜朗(よしろう)首相が、連絡は取れたとしても、ゴルフを続けたのは、問題外で話にならない。

 一流のスポーツ選手は、抜き打ちドーピング検査に応じられるよう、四六時中、居場所を所属協会に報告しておくことが義務づけられているという。政治家の公的職務の遂行監視に甘いメディアの存在こそ、「反公益」的である。(同志社大学社会学部教授 渡辺武達(わたなべ・たけさと)/SANKEI EXPRESS

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