SankeiBiz for mobile

リチャード3世 遺骨が語る「勇敢な最期」 英大学がCTスキャン

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSの科学

リチャード3世 遺骨が語る「勇敢な最期」 英大学がCTスキャン

更新

英医学誌に掲載されたリチャード3世(1452~85年)の頭蓋骨の写真。傷は頭部に9つ確認されたが、後頭部に大きく開いた2つの傷が致命傷となった(AP)  1485年のボズワースの戦いに敗れ、戦死したヨーク朝最後のイングランド王、リチャード3世(1452~85年)。英国の劇作家、ウィリアム・シェークスピア(1564~1616年)の戯曲では、策謀によって王位を奪取した希代の奸物(かんぶつ)として描かれているが、2012年に発掘された遺骨を科学的に調べた結果、その死にざまは意外に勇敢だった可能性のあることが分かった。リチャード3世に勝って王位に就いたヘンリー7世(1457~1509年)は、後にイングランドがスコットランドと統合する礎を築いただけに、歴史に「もし」が許されるなら、英国の現状は違ったものとなっていたかもしれない。

 後頭部に致命傷

 遺骨の検視は英レスター大学の法医学チームが行い、17日の英医学誌「ランセット」に論文を発表した。英BBC放送(電子版)によると、CTスキャンを用い、少なくとも11カ所の傷を発見。そのうちのいくつかは死後に加えられた傷である可能性が大きいことが分かった。

 論文では、このうち2つが致命傷になったとしている。レスター大のサラ・ヘインズワース教授はBBCの取材に対し、「リチャード3世はその傷の具合から、息つく間のない連続的な攻撃、もしくは複数の敵による攻撃を受けた可能性が大きい。殺害されたときに頭にかぶとは被っていなかったが、手や腕に防御した際にできる傷がないことから、よろいは着ていたと推測できる」と語った。

 研究チームの病理学者であるレスター大のガイ・ルティ氏もBBCに「致命傷は中世後期のやりか刀によって後頭部に受けた2つの傷で、歴史上言われているようにぬかるみにはまって落馬し、敵と戦っている最中に殺されたことを示すものだ」と説明。複数の敵と交戦中の死である可能性が高いと言及した。臀部(でんぶ)とあばら骨にある傷は死後によろいをはがされ、付けられたとみられるという。

 醜い男に描かれ

 シェークスピアの戯曲では、リチャード3世は王位への野心から、兄のエドワード4世(1442~83年)が病に倒れると、権謀術数を駆使して兄弟や親類を次々にロンドン塔に幽閉して暗殺。自ら王となるが、反乱によりフランスから侵入してきたリッチモンド伯(後のヘンリー7世)に敗れ、在位わずか26カ月、32歳で死亡した。

 シェークスピアはリチャード3世を背骨が大きく曲がってこぶがあり、足を引きずる醜悪な容姿の人物として描いたが、今年5月には遺骨の鑑定結果から、背骨が曲がる脊柱後湾の症状はあったものの重度ではなく、衣服で隠れる程度だったことが判明。戯曲では、生への執着から死に際し「馬をくれ、馬を! 代わりにわが王国をくれてやる!」と語ったせりふが有名だが、実際には最後まで戦って死亡した可能性が大きい。

 同君連合の礎

 一方、ボズワースの戦いでリチャード3世を破ってテューダー朝初代のイングランド王となったヘンリー7世は、リチャード3世のめいにあたるエリザベス・オブ・ヨークと結婚して王位を固め、戦争による混乱を終結。スコットランド王国と平和条約を結んで娘のマーガレット王女をスコットランド王ジェームズ4世に嫁がせた。後にイングランド王朝の皇統が途絶えたため、スコットランド王を迎えて両国が同じ君主をいただく同君連合につながっていくことになり、1707年に両国の議会が統一されて一つの国家になった。スコットランド独立を問う住民投票は19日、否決されたが、ときをほぼ同じくしてのリチャード3世にまつわる新発見はどこか因縁めいてもいる。(SANKEI EXPRESS

ランキング