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社会
御嶽山噴火3カ月 「新年は平穏に 復興へ一歩一歩」
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噴火から3カ月を迎え、御嶽山(おんたけさん)に向かって黙祷するスキー場の従業員=2014年12月27日午前7時20分、長野県木曽郡木曽町の開田高原マイアスキー場(共同) 57人が死亡、6人が行方不明となった御嶽山(長野・岐阜県、3067メートル)の噴火から27日で3カ月を迎えた。麓の長野県木曽町にある太陽の丘公園に設けられた献花台では発生時刻の午前11時52分、原久仁男町長ら約50人が御嶽山に向かって黙祷(もくとう)し、犠牲者の冥福を祈った。
町長は「新しい年が災害のない平穏な年になるよう祈った。復興に向けて一歩一歩、進めていきたい」と語った。
木曽町の「開田高原マイアスキー場」では始業前の午前7時すぎ、スキー場運営会社の今孝志社長が「犠牲者への哀悼の念を忘れず前を向いてやっていこう」と呼び掛けた後、従業員ら約30人が雪に覆われた御嶽山に向かって頭を下げた。今社長は「(亡くなった方に)一生懸命頑張るので見守っていてくださいという気持ちで黙祷した」と話した。
スキー場は避難用シェルターを設置し、ヘルメットを常備するなど新たな安全対策を取った上で、13日から今シーズンの営業を開始している。
捜索時にヘリコプターの発着場となった麓の王滝村にある松原スポーツ公園の献花台には時折、犠牲者を追悼する人が訪れた。
噴火当日に山頂付近にいたという長野県駒ケ根市の男性会社員(56)は花を供え、「助かったのは運が良かったということしかない」とかみしめるように語った。母(98)と発生時刻に手を合わせた王滝村の主婦、小谷洋子さん(62)は「行方不明の人が家族の元に戻るように、早くお山が静まるよう祈った」と涙ながらに話した。
噴火後、警察や消防、自衛隊は延べ約1万5000人を投入して山頂付近を中心に、取り残された登山者を捜索。積雪などで二次災害の危険性が高まっているとして10月16日に中断され、再開は来春以降に持ち越された。
気象庁は噴火後、噴火警戒レベルを3(入山規制)に引き上げた。火山活動には低下傾向が見られるが、小規模な噴火が発生する可能性はある。
火口から4キロ以内の立ち入り規制は続いている。
≪2人の娘育てるため…死亡届提出、一つの区切り≫
「忘れたわけじゃないけど、考え過ぎないようにしている」。御嶽山(おんたけさん)の噴火で行方不明となった三重県鈴鹿市の介護士、伊藤亮介さん(39)の妻、里絵さん(36)は11月下旬、生命保険などの手続きのため、亮介さんの死亡届を市役所に提出し、12月になって受理された。「考えるとつらい。でも、主人は家族がつらくなることを望んでいないと思う」。これから高校生と中学生の娘2人を育て上げるため、一つの区切りを付けた。
16年目の結婚記念日だった10月25日に鈴鹿市内の斎場で、亮介さんのお別れ会を開いた。集まった約200人を前に、思い出と感謝の言葉を述べたが、語り尽くせない思いがあるからこそ、かえって普段の感じで話すよう心掛けた。
公共料金の名義変更などを終え、自宅で開いていた料理教室を11月上旬から再開した。生徒の希望で最初に作ったのはチキンカレー。亮介さんの大好物だが、噴火から全く作っていなかったことに気付いた。「意識してなかったけれど、避けていたのかも」。心の傷に触れたような気がした。
リビングに亮介さんの写真を飾っている。こちらをのぞき込むように優しい笑顔を浮かべている亮介さんにあいさつするのが家族の日課だ。日ごろの出来事を伝えたり、娘が成績表を広げて見せたりしているという。
これまで亮介さんとやっていた年末の大掃除も今年は長女と2人でやった。窓や庭、高いところなど亮介さんに任せていたところを掃除していると「よくやっていてくれたな。本当に頼りにしていたんだな」と感じた。
会話の中で、ふと亮介さんのことが頭をよぎる。そんなときは、大阪市にあるテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」などに家族で出掛けたときのことを思い出すという。
「今まで幸せだったから、一緒になったことに後悔してないから、私は普通でいられるのかなと思う」。亮介さんと過ごした日々が心の支えになっている。(SANKEI EXPRESS)