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【御嶽山噴火】捜索再開 新たに3人発見、死者54人に 疲労募る家族ら 寄り添う保健師
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御嶽山(おんたけさん、長野・岐阜県、3067メートル)山頂付近で横一列になって捜索する自衛隊員=2014年10月7日正午ごろ(陸上自衛隊提供) 戦後最悪の火山災害となった御嶽山(おんたけさん、長野・岐阜県、3067メートル)の噴火で、長野県警は7日、この日の捜索で発見し、麓に搬送した3人全員の死亡を確認した。犠牲者は計54人となった。
3人のうち2人の身元は、愛知県小牧市、会社員、大脇信治さん(40)と愛知県豊田市、会社員、三宅真一郎さん(50)と判明。県警は残る1人の身元の特定を進める。大脇さんと三宅さんは長野県が行方不明としていた12人に含まれ、残る不明者は10人となった。警察や消防、自衛隊は8日以降も捜索を続け、発見を急ぐ。
自衛隊などによると、3日ぶりに再開した7日の捜索では、これまでで最多の約440人を山頂付近に集中して投入した。
再開された御嶽山の噴火での行方不明者の救出・捜索活動。これまでで最多の人員が頂上付近に投入され、捜索隊は、範囲を山頂全域に広げて新たに“ローラー作戦”を展開した。標高3000メートルという過酷な環境に資機材も駆使し、新たに3人を探し出した。「1秒でも早く見つける」。隊員は士気を高めている。
この日の捜索も困難を極めた。山頂の冷え込みは増し、山小屋には長さ50センチほどのつららが並んだ。台風18号の影響もみられ、灰に探索棒を刺すと、水が流れ出して辺りは泥状に。膝上まで灰に埋まって足を取られる隊員もいた。灰が流されてむき出しになった岩が崩れて転がり落ちていくこともあった。それでも3人を麓へと届けた。
捜索隊はこの日、新たな作戦を展開。山頂全面で隊員は一列に並んで一斉に歩を進め、金属探知機や探索棒を使い、くまなく調べる手法を初めて取り入れた。
捜索漏れ範囲が生じないように衛星利用測位システム(GPS)や距離計も初投入。突然の噴石から身を守るためのジュラルミンの楯約220枚も山頂に運ばれた。一度に約30人を山頂まで運べる大型輸送ヘリ「CH47」も、ぬかるんだ灰にタイヤが沈み込まないように特殊な板を履かせるなど工夫が施された。
陸上自衛隊第12施設隊長の平位一郎2佐(47)は「雨で悔しい思いをしてきた。厳しい捜索も強いられるが、一歩でも先に進め、全員を家族の元に帰したい」と話していた。
≪疲労募る家族ら 寄り添う保健師≫
発生から10日以上が過ぎ、救出を願う家族らのストレスも日増しに強まっている。「少しでも、その心の重荷を軽くしてあげたい」。家族らが情報を待つ長野県木曽町の施設では、地元保健師らがそっと寄り添い、支え続けている。
広い待機所の片隅で、どの輪にも加わることなく膝を抱え、1人座る高齢の男性の姿があった。待機所では、発表がある度に緊張が走り自分の家族の情報ではないと分かると、ため息が漏れる日々が続いた。度重なる雨で思うように捜索が進まない中、疲労はピークに達しようとしている。
夫婦や支え合う家族がいれば、多少の気持ちをつなぐこともできるが、1人では抱えきれなくなって体調を崩すケースも多い。「お一人で大変ですね」。木曽保健福祉事務所の女性保健師(48)は、その男性にそっと声をかけ、温かいお茶を差し出した。保健師らは、余計な負荷をかけてはいけないと、聞き役に徹する。じっと寄り添う保健師に、男性はぽつぽつと語り始めた。「もうじき祭りがあるんだ」。地元の祭りや郷土の料理…。遠方から息子を捜しにやってきたという男性は、たわいのない話を続けた。
息子の話題は出なかったが、話が終わるころには男性に笑顔が垣間見えた。女性保健師は「家族はケアを目的に待機所に来ているわけではない。話したくないことは話さなくてもいい」と語る。
男性はその後、息子の遺体が見つかったという報告を受け、待機所を後にした。大きな荷物を抱え帰路に就く男性の後ろ姿に女性保健師は声を掛けた。「お気を付けて」。男性はかすかにほほ笑み頭を下げた。
保健師らは普段、母子や病人のサポートなどを担い、今回のような未曽有の噴火災害で家族を支えるのは未知の領域だという。手探りでのケアを続ける上、家族は途切れることなく避難所を訪れ、48時間連続で対応したこともあった。
自身を取り巻く環境も悪化するが、家族らと接するうちに支えたい気持ちは日を追うごとに強まっているという。「今は待機所という非日常の中にいるが、どんな結果になっても日常に帰らなければならない。その手助けになるように最後の家族まで寄り添い続けたい」。女性保健師は思いを込めた。(SANKEI EXPRESS)