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社会
【阪神大震災20年】「整理をつけるのは、まだ無理」
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神戸市中央区の東遊園地で、ろうそくに火を灯す子供たち。夜明け前の暗闇に、「1・17」の文字が浮かんだ=2015年1月17日、兵庫県(山田哲司撮影) 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった1995年の阪神大震災は17日午前5時46分、発生から丸20年の大きな節目を迎えた。かつての被災地では遺族らが鎮魂の祈りをささげ、つらく重い経験を未来の世代につなぐことを誓った。
神戸市中央区の東遊園地。降っていた雨はやみ、夜明け前の暗闇に「1・17」の文字が浮かんだ。集まった約1万4000人が黙祷(もくとう)、静かに手を合わせた。
「今年も来たよ。お母ちゃん、どこ行ったん…」。多くの竹灯籠から漏れる灯の中に、兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(51)がいた。目を閉じると面影が浮かぶ母、正子さん=当時(65)=の遺体は見つかっていない。
犠牲者の名前が銘板に刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」前で、花を手向けたが、20年が経過した今も心のどこかで、区切りがつけられないでいる。
正子さんは神戸市須磨区のアパートで1人暮らしだった。激震があった翌日、兄から「家がつぶれて、燃えてんねんぞ」と聞かされ、半信半疑で向かった先で見たのは、煙がくすぶるがれきの山。何が何だか分からなかった。
気を強く持ち、母を捜す毎日だった。仕事を休み通い詰めたが、焼け跡から見つかったのは正子さんの腕時計や湯飲みなど。遺体は出てこなかった。「記憶を失い、どこかで保護されているかも」。ビラを配り情報提供を呼び掛けた。
半年後、親戚に勧められ執り行った葬儀。骨つぼに入れる骨はなく、アパートのがれきを入れた。1年後、裁判所に失踪宣告を申し立て正子さんは戸籍上「死亡」した。
時間がたてば、踏ん切りがつくと思っていたが、逆だった。「ほかに捜し方があったんちゃうんか」。申し訳なさが年々積もり、20年を迎えた。
「あの日から時間は止まったまま。整理をつけるのは、まだ無理かな」。両手でしっかりと遺影を抱え、つぶやいた。
≪「がれきかき分けた感覚まだ残ってる」≫
「今生きていたらどうしているだろうか」-。夜明け前の17日午前5時46分、兵庫県の各地では遺族や住民が献花に訪れ、鎮魂の祈りをささげた。亡くなった家族や友人らに「命の大切さを次世代に伝えていきたい」と誓った。
ほとんどの店が全壊した西宮市の西宮中央商店街では、発生時刻で止まったままの大時計を店主ら約70人が囲み黙祷(もくとう)した。
犠牲者1000人以上の名前が石碑に並ぶ、西宮震災記念碑公園では専門学校校長の和泉喜久男さん(64)が、長男の忠宏さん=当時(10)=の名前を見つめ「元気にしているか」と心の中で声を掛けた。追悼式では遺族代表として壇上に上がり「命の大切さを知り、近所の人に助けてもらった。人間は一人ではない。いつも感謝の気持ちを忘れないように」と語りかけた。
大規模な火災が起きた神戸市長田区。防火壁として焼け残った「神戸の壁」の跡地付近では住民らが黙祷をささげ、遺族は灯籠に書かれた名前を手でさする。妹を亡くした主婦、谷口育子さん(79)は「助けようとがれきをかき分けた時の感覚がまだ残っている」。
長田区の真野小には東日本大震災で被災した仙台市立東六郷小の児童を招き、「1・17 絆 3・11」の形に並べたろうそくに火がともされた。
市街地を一望できる高台にある神戸市中央区の諏訪山公園にはトランペットの音色が響いた。美しい神戸の町をモチーフに作られたという唱歌「花の街」。演奏した松平晃さん(72)は「この町の人が心をつなげていければ」と語った。
震源となった野島断層がある淡路市の北淡震災記念公園では、淡路島で亡くなった住民の数に合わせた63個の竹筒に入ったろうそくに火をともして池に浮かべた。星空が広がる発生時刻に遺族ら250人が黙祷し、菊の花を会場の献花台に供えて追悼。賛美歌「アメイジング・グレイス」を静かに合唱した。(EX編集部/撮影:山田哲司、大塚聡彦、恵守乾(えもり・かん)/SANKEI EXPRESS)