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「私の使命」 震災体験語り全国行脚 石巻の榊美紗子さん

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「私の使命」 震災体験語り全国行脚 石巻の榊美紗子さん

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震災直後の宮城県石巻市内の写真をスクリーンに映し、当時の体験を語る榊美紗子さん=2015年3月3日、福岡県福岡市博多区(安藤歩美撮影)  東日本大震災の被災者が、全国各地で震災体験を語る活動を続けている。家族3人を亡くし、自宅を津波で流された宮城県石巻市のパート従業員、榊(さかき)美紗子さん(26)。3日夜には福岡市で講演し、出向いた先は5府県となった。語ることを「使命」と信じ、あの日の記憶と思いを伝えている。

 家族3人亡くし一人に

 「まちが火の海になり、満天の星の下を、火の粉が飛び交う光景は忘れられません。あの夜は星がたくさん輝いていて、まるで亡くなった方々の魂が、生き残った私たちを照らしてくれているかのようでした」

 2011年3月11日、津波の後に火災が起きた石巻市門脇(かどのわき)地区の写真をスクリーンに映しながら、榊さんが語る。3日夜、福岡市博多区のホテル会場では、企業経営者らでつくる福岡県倫理法人会の会員362人が熱心に聞き入っていた。

 榊さんは震災で、同居の両親と祖母を亡くし、家族でただ一人生き残った。被災体験を地元の寺で語るうちに他県の寺からも講演を依頼され、震災の翌年から全国を回るようになった。今回は、福岡市の会社社長が榊さんを取り上げた新聞記事を読んだことがきっかけで呼ばれたという。

 後悔ない日々を

 講演では、榊さんがこの4年間を振り返る。家ごと津波に流され、がれきをはい上がって助かったこと、家族を捜しに泣きながら遺体安置所へ通ったこと、2年8カ月を経て母親の遺骨が帰ってきたこと…。

 突然、災害に襲われた体験を通じて伝えたいのは、少しでも後悔のない日々を送ることの大切さだ。榊さんは壇上で、こう続けた。「日々、災害や事件が起き、あす何が起こるか分からない時代。周りにいる大事な人に何かが起こったら。(そう考えると)思っていることは伝えなくちゃ、思いやりの気持ちで接しようと思えるはず」

 被災地から遠く離れた場所での「語り」は、多くの人の心に刻まれた。福岡市南区の建築設計事務所社長、大江義夫さん(65)は「福岡でも以前、西方沖地震があり、何が起こるか分からない。明日はないかもしれないと思い、一日一日をもっと真剣に生きなければと教えてもらった」と感激していた。

 「生きた証し」残す

 榊さんはこの日、26歳の誕生日を迎えた。最近、家族の「生きた証し」についてよく考えるという。船大工の祖父はまちに彫刻の看板を、裁縫の先生だった祖母は寺に客人用のいすを装飾するレースを、両親は自分の名前と存在を残した。

 榊さんにとって、それは「語り続ける」こと。人に聞いてもらうことで、自分の生きた証しが残せると考えるからだ。「死ぬまでにどれだけ自分の生きた証しを残していけるか、考えながら生きていきたい。伝えることが私の使命だと思う」(安藤歩美、写真も/SANKEI EXPRESS

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