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【笑顔のアスリート学】田んぼで気づいた「水」の大切さ 萩原智子
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きれいな水が張られたプールで行われる水泳の競技。水がなくなれば、真っ先にできなくなる=2015年6月23日、アゼルバイジャン・首都バクー(ロイター) 当たり前のように存在するものこそ、実は大きな価値がある。そんなことを実感する出来事があった。
先日、田んぼの生き物調査のイベントに参加した。二十数年ぶりの田んぼ。足を踏み入れたときのドキドキやワクワク感は、幼少期と変わらずとても楽しかった。
私と同じように田んぼに入った大人たちは、みんな笑顔で生き物を探していた。アメンボ、おたまじゃくし、カエル、ヤゴ、ザリガニ、ドジョウ、イトミミズ、ミジンコ、タニシ…。数え切れないくらいの生き物たちが出迎えてくれ、約2時間、生き物調査を行った。私が見つけられたのは10種類ほどだったが、専門家の人から田んぼには5668種類もの生き物がいると聞き驚いた。多くの命を育んでいる田んぼは、ただお米を作るだけでなく、大きな役割を果たしていることが実感できた時間だった。
日々、私たちの食卓を支えてくれているお米は、たくさんの命とともに育まれている。そして、人間が「お米を食べたい!」と思うことによって、お米が作られる。田んぼに水が張られ、稲が植えられることによって生き物たちが集まり、命を育む。その生き物たちが、田んぼの土を耕し、豊かな土壌を作り上げ、良いお米が誕生する。お米、生き物、人間は、支え合っているともいえる。
田んぼの役割は、それだけでは終わらない。お米を作り、生き物を育むだけではなく、街の小さなダムの役割も果たし、洪水などの天災対策にも役立っているという。田んぼは、私たちの生活をも見守ってくれている。そして緑の稲が景観を保つと同時に、夏の暑さ対策にも一役かっている。もちろん稲が光合成を行い、二酸化炭素(CO2)を吸収することも…。さまざまな形で命の循環が行われているのだ。
あって当たり前のように感じていた田んぼの役割は、私の想像を超える形で存在していた。
「一粒百行(いちりゅうひゃくぎょう)」という言葉を知っているだろうか。昔、農家の人たちが使っていた言葉で、一粒のお米を作るには百の行いをしなければ良いお米ができないという意味を持っている。この言葉を「一流百行」と置き換えたらどうだろう。一流になるためには、百の行いをしなければならない…。人間と同じように考えると、たった一粒のお米を作り出すことは容易ではないことが分かる。食卓に並ぶお米は、農家の方々の努力の結晶でもある。お米があって「当たり前」ではない。お米があることは、本当に幸せなことであり、「ありがとう」なのだ。
「当たり前」という言葉を聞いて思い出すのは「水」だ。私は長年、水泳競技に打ち込んできた。現役時代はプールに水が張っていることに対し、何も考えることはなかった。それは「当たり前」と思っていたからだ。現役から離れ、山登りをする機会に恵まれた。山の上では、飲み水を確保することは容易ではない。入山する前に各自で確保し、何よりも重たい水をザックに詰めて険しい山を登るのだ。人間にとって、そしてこの地球上全ての生物にとって、水は生死を分ける重要なアイテムでもある。
無事登頂を果たし、水を飲んだ瞬間、ふとプールが頭に浮かんだ。良く考えてみると、水がなくなって一番初めに消滅するスポーツは水泳である。大きなプールにきれいな水を張って行う水泳は、なんてぜいたくで恵まれているスポーツなのだろうか。豊かさの象徴であり、平和のシンボルのようにも感じる。そんな中でスポーツと本気で向き合うことができる…。本当に幸せなことだと心から思う。
実際に体験して感じ、考えることは、人生の財産になる。普段、当たり前のように存在するものも、実は大きな存在価値があるということも勉強になった。身近なものに目を向けて、「当たり前」ではなく「ありがとう」と感じられることも幸せなことなのかもしれない。