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【世界自転車レース紀行】(34)イタリア 美しくも過酷 地元ファン熱狂

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【世界自転車レース紀行】(34)イタリア 美しくも過酷 地元ファン熱狂

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 ジロ・デ・イタリアのピンク色のルーツは、主催者であるRCSスポルトの関連企業が発行するイタリア最大のスポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」の紙面の色にある。どうしてそのスポーツ紙がピンク色なのかについては諸説あるが、ジロ・デ・イタリアのスタート地点やゴール地点、またレースが通り抜ける町はまるで特別なお祭りのように、ピンク色に染まっていく。

 その背後には伝統や文化が存在しているが、ショッピング街のショーウインドーにはピンク色に塗られた自転車が並び、観戦に来る子供たちは全身ピンク色の服をまとう。その光景は、誰もを笑顔にしてくれる。

 ジロ・デ・イタリアの初開催は、1909年。その長い歴史の中で、何人かの日本人選手も出場してきた。1990、93年に市川雅敏、95年に今中大介、2001、02年に野寺秀徳、10、14年に新城幸也、11、12、14、15年に別府史之。そして今年は日本人史上最年少となる22歳の石橋学も出場したが、第9ステージで調子が振るわずリタイアとなった。また、これまでの日本人選手の最高位は新城幸也の2010年第5ステージでの3位だ。

このニュースのフォト

  • 真っ青な海を横目にレースが進んでいく。初夏の陽気で日光浴を楽しむ人たちも=2015年5月10日、イタリア・リグーリア州(田中苑子さん撮影)
  • 最終日前日に組み込まれた未舗装路の最難関峠のフィネストレ峠を越える選手たち。ここを越えれば、ミラノでの華々しいゴールが待っている=2015年5月30日、イタリア・コッレ・デッレ・フィネストレ(田中苑子さん撮影)
  • 弱冠22歳でジロ・デ・イタリア初出場となった石橋学(NIPPO・ヴィーニファンティーニ)。第9ステージでリタイアとなった悔しさを次につなげる=2015年5月9日、イタリア(田中苑子さん撮影)
  • 沿道の自宅からレースが通るのを待つ子供たち。レースグッズや持っているピンク色のアイテムを身につけて、選手たちに声援を送る=2015年5月12日、イタリア(田中苑子さん撮影)
  • 第2ステージのゴールとなった港街ジェノバ。ゴール地点の噴水の水はピンク色に染まり、選手たちの到着を待った=2015年5月10日、イタリア・リグーリア州(田中苑子さん撮影)
  • シンプルなイタリアの食事が走り続ける選手たちの味方。脂肪分を控え、炭水化物とたんぱく質が中心となった食事で3週間の長丁場に挑む=2015年5月10日、イタリア(田中苑子さん撮影)
  • 選手たちはその日のレースを終えるとマッサージを受けるのが日課。疲れをいかに回復させるかも3週間のレースを戦い抜く要素=2015年5月28日、イタリア(田中苑子さん撮影)
  • イタリア・ロンバルディア州ミラノ、リグーリア州サンレモ
  • フリーランスカメラマン、田中苑子(そのこ)さん。1981年、千葉県生まれ。2005年に看護師から自転車専門誌の編集部に転職。08年からフリーランスカメラマンに転向し、現在はアジアの草レースからツール・ド・フランスまで、世界各国の色鮮やかな自転車レースを追っかけ中=2011年1月30日(本人提供)

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