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【世界自転車レース紀行】(29)イタリア 女性最高峰の戦い「ジロ・ローザ」

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【世界自転車レース紀行】(29)イタリア 女性最高峰の戦い「ジロ・ローザ」

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148選手が出場した今年の「ジロ・ローザ」。女子ロードレース界のトップ選手がみな出場する大会で、高いステータスを持つ=2015年7月12日、イタリア・ピエモンテ州ベルバニア(田中苑子さん撮影)  3日から10日間の日程で、イタリア北部を中心に“女性版ジロ・デ・イタリア”と呼ばれる「ジロ・ローザ」が開催された。

 自転車ロードレースは「ツール・ド・フランス」に代表されるように男性のスポーツという印象が強いが、世界各国で女子の国際レースが開催されており、そこではプロの女子選手たちが活躍している。

 女子ロードレース界のトップレースには男子と同様に世界選手権やオリンピックが挙げられるが、自転車ロードレースの醍醐味(だいごみ)である2日以上にわたって開催されるステージレースでは、現在イタリアで開催されているジロ・ローザが世界最高峰の大会となっている。

 男子のジロ・デ・イタリアは世界の三大ツールに数えられる大会で、1909年の初開催以来、毎年5月に3週間かけて行われ、厳しい山岳コースが取り入れられるのが特徴で、ピンク色のリーダージャージ「マリアローザ」をかけて例年熱戦が繰り広げられる。

 その点、“女性版ジロ・デ・イタリア”の歴史は浅く、初開催は1988年。当初は「ジロ・ドンナ」という大会名だったが、主催者が変わり、近年はジロ・ローザという大会名で開催されるようになった。

 今年はイタリアの隣国、スロベニアでのスタートとなり、全19チーム、世界チャンピオンを含む148選手が出走した。最初の2日間はスロベニアで、その後、レースは38度を超える酷暑のなかでイタリア本国へと移動し、北部ロンバルディア地方などの山々を舞台に厳しい戦いが繰り広げられた。そして今大会でもっとも厳しいステージと言われていた第6ステージでは、唯一の日本人選手として出場する萩原麻由子(ウィグル・ホンダ)が独走にてステージ優勝を遂げ、日本の自転車競技界にとって歴史的ともいえる大きな勝ち星をつかんだ。

 ≪チームのための走り 歴史的勝ち星生んだ≫

 萩原麻由子にとってジロ・ローザ出場は3年連続3回目。ジロ・ローザをはじめとした国際レースに出場するためには、UCI(国際自転車競技連合)に登録されているチームに加入しなければならず、またチーム内でのメンバー選考に残らないとならないが、日本にはUCI登録の女子チームはない。

 鹿屋(かのや)体育大学(鹿児島県鹿屋市)在学中にアジア競技大会で優勝するなどの経歴をもつ萩原は、3年前から本場ヨーロッパに活動拠点を移し、イギリス籍の女子プロチームに所属して世界各国のレースを転戦している。

 第6ステージは途中3つの山岳を越える102キロのコースレイアウト。萩原の所属するウィグル・ホンダには総合優勝を狙うマラ・アボット(アメリカ)とエリサ・ロンゴ・ボルギーニの2人のエース選手がいるため、チームから萩原に課せられた指令は、エースのために走ること。具体的には、得意の登坂力を生かし、アタックをかけて先行、萩原を追うライバルチームの体力を奪うというものだった。

 そして、この日は作戦通りに萩原を含む7選手の“逃げ”が序盤に決まると、終盤に追撃を仕掛ける有力選手たちの集団が追いつく展開となった。そこにはしっかりとウィグル・ホンダのエースも含まれていた。そして最後の山岳で再びアタックを仕掛け、今度は単独で先行した。

 「できるだけ長く逃げて、他のチームにダメージを与えたかった」と話す萩原、ゴールが近づくにつれて、徐々に萩原と追走集団とのタイム差が詰まってきたが、残り5キロを切ってから、その差は30秒で保たれ続けた。エースのために一生懸命走っていた萩原だが、残り1キロを切って、後ろを振り返ったときに、後続が追いついてこないことを確認。ここからは自分の勝利を目指して、向かい風の中で懸命に走り続け、自身にとって欧州での初勝利となるうれしいステージ優勝を挙げた。またチームとしても、総合上位にいる選手を何人か振るい落とす結果となり、萩原の走りは大いに評価されたのだ。

 萩原は、3年前の渡欧当初はヨーロッパでの生活になじめずに大きな苦労を味わった。「レース中に自分がどこを走っているのかわからない状態だった」。結果もまったく振るわなかった。しかし、この3年のあいだに競技環境を切り開き、いまではチームとも打ち解け、チームメートやスタッフから高い信頼を得る選手に成長した。

 現在、28歳の萩原。ジロ・ローザのあともフランスで開催されたレースで優勝しており、今や世界のトップ選手として認識されるようになった。2016年のリオ五輪、そして20年の東京五輪でのメダル獲得も現実味のある目標となった。(写真・文:フリーランスカメラマン 田中苑子(そのこ)/SANKEI EXPRESS

 ■たなか・そのこ 1981年、千葉生まれ。2005年に看護師から自転車専門誌の編集部に転職。08年よりフリーランスカメラマンに転向し、現在はアジアの草レースからツール・ド・フランスまで、世界各国の色鮮やかな自転車レースを追っかけ中。

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