ニュースカテゴリ:政策・市況
海外情勢
日本人が自慢する「世界一の技術」 説得できなければ“井の中の蛙”と同じだ
更新
日本のファッション雑誌を覗くとヨーロッパのヘアデザイナーたちが華々しく紹介されている。が、意外にもヨーロッパに住む日本人たちは「ヨーロッパの美容師って下手クソですね。日本人の腕は世界一ですよ」と文句タラタラ。
ぼくはイタリアに来て何軒も床屋を渡り、美容院もいろいろと試した。そして彷徨を重ねた末、今の美容院に辿りついた。15年以上かかった。だから上述のセリフに頷かないわけではない。しかし、「待てよ!」と自問する。
どんな技術も発達するには理由がある。一般的に日本人の頭は絶壁だし髪質も硬い。日本人美容師はこれらの弱点をカバーするためのテクニックが発達した。そう考えられないだろうか。
その証拠に日本人のカットはイタリア人に言わせると平面的と評される。日本人が自負するその器用さは、ヨーロッパ人の頭と髪質に対して必要とされなかった。のみならず、「造形力」そのものが評価されない(ことがある)。
かつて評論家の加藤周一がこう語った。
「日本の富士山は美しい。富士山を日本一という人がいれば、若干首を傾げるが、気持ちはよく分かる。しかし富士山は世界一美しい、というなら単なる井の中の蛙だ」
実際、韓国やインドネシアにも似た形の山はある。
美しいと思う風景は記憶や経験が作る。富士山を美しいと愛でるのは、無駄を排除することに拘る美学やニッポンへの思いを重ね合わせて見るからだ。
世界一美しい山などない。あるとすれば観光誘致策がつくったスローガンに過ぎない。工業製品にも同じことが言える。
ヨーロッパでも日本車の評価は高い。特に品質トラブルの少なさを褒める。しかし、例えばブレーキの効きについては不満の声も聞こえる。ヨーロッパの使用状況にあわせチューニングされているが、150キロを超えて走るクルマには物足りなさが残る。
その反対に車内の軋み音にヨーロッパのユーザーは鷹揚だ。ちょっとギシギシいっても頓着しない。だが、日本のメーカーはこの点を物凄く気にする。日本人はノイズに敏感なのだ。
世界一値段の高いクルマや速いクルマはあるが、世界一良いクルマはない。このように日常生活の細部から荘厳な山のカタチに至るまで、「世界一などないもの」に囲まれている。
一方でランキングに一喜一憂するのが世の中だ。うまく活用している参考がヨーロッパにある。一般的に生活の質の世界ランキングで上位を占めるのは北ヨーロッパの国々だが、ランキングの指標を作っているのがそれらの国の機関であることが多い。
いわば「出来レース」だ。
しかしこれに対して茶番である、と文句を言うのではなく、自分たちで評価の土壌を作りあげることが求められる。実はランキング指標はこの土壌から育った苗木だ。
「厳しいルールは『無理無理!』日本が世界でトップに立てない理由」で書いたが、モノを売るにも、それが売れるルールを作らないと売れない。いくら世界一だと謳ってもダメ。機能で勝負するなら、機能表示を義務付けるルールが必要だ。そして世界で通用するルール作りを主導するには、価値や理念が先行しないといけない。
つまりルールとランキングは一つの土壌から育った産物だ。
日本の製品が過剰品質・機能であると言われて久しい。要望されないものをどう一生懸命に売ろうとしても成果は出にくい。「需要は生み出すものだ」とのコピーはキャッチ-だが、過剰品質・機能は空振りすることも多かった。
そこで「モノ」を売るだけではなく、ユーザー経験を取り囲む世界観込みでハードやソフトを広めていこうという動きがでてきた。舞台仕掛けには総力戦で立ち向かう。
世界一の技術でも世界一望まれる技術というわけではない。説得できるコミュニケーション力こそが大きく問われる。