キャリア

“家業”を2度救った元商社マン メテックスCEOの波乱万丈人生を聞く (1/3ページ)

SankeiBiz編集部

 国内企業の大半を占める中小企業が廃業危機にさらされている。後継者不足で事業承継が困難になっていることなどが背景にあり、日本経済への打撃が懸念されている。健康・医療関連用品など幅広い商品の輸入・国内販売などを手掛けるメテックスの田中昌男CEO(最高経営責任者)は、もともと大手商社マンだったが、両親の会社を再建し、さらに母親が創業、弟が継いでピンチに陥っていた会社を引き継ぎ、見事に再生、成長させた。その経験、経営姿勢は今、危機に直面する中手企業の参考になるかもしれない。田中CEOに、波乱にとんだ、これまでの道のりを聞いた。

 1970年に慶応大法学部を卒業し、三井物産に入社した。

 「私の子供のころ、日本はまだ貧しかった。小学校の給食は、米国の牛のえさの脱脂粉乳。それを飲まされて、まずいなと、そういう時代だった。私は両親が会社を経営していたので、まだ贅沢させてもらった方だけど、それでも絶対的に貧しい。そういう時代なものだから、商社マンになって、海外に日本の製品を輸出して、日本人を豊かにしたいと、本当にそう思っていた。私は小学校1年から6年まで大阪にいたんだけど、兵庫の芦屋まで通って英国人の銀行家の奥さんに英語を習った。大学の時は、休みのほとんどを海外で過ごした」

 三井物産では、どんな仕事をしたのか。

 「最初はドメスティックのセメント、建設資材。それから船の担当にしてもらった。当時の花形で、入社4年目にメッカのロンドンに行った。同期に330人いた中で2番目だった。船は相場商売。船はつくるのに2年か3年かかる。景気が良くなってモノが動くようになったら船がいる。でもすぐには船はできない。だから2、3年先の相場を見据えた営業をしないといけない。そういうビジネスの感覚があったみたいで、私はロンドンで、船の業績をあげ、かなりのやり手ということになった」

 ロンドンに届いた手紙

 そんな充実の日々に転機が訪れた。

 「ロンドンには結局、4年いた。2年目に結婚し、双子が生まれた。船の仕事はすごく面白く、本当に楽しんでいた。そこに両親の会社の役員から手紙が届いた。その会社は繊維卸で年商100億円近くあった。でも過剰在庫で4年間赤字。父親も体調を崩していて、大変な状況になっている。迷惑をかけるかもしれないけれど、ぜひ、何とか両親と会社を助けてくださいと、手紙にはあった。両親には、贅沢させてもらったし、社員にも、かわいがられて育った。見捨てるわけにはいかない。覚悟して、三井物産を退職し、両親の会社に飛び込んだ」

 立て直しはうまくいったのか。

 「不良在庫をまず現金化した。キャッシュフローがないと会社は潰れるから、どんどん売った。そして1年で経常黒字にした。ところが、母親との仲は悪くなった。母親にすると、まだ仕事をやりたいのに、息子が来ていろいろ指図をする、威張っているということだった。母親は買うことが好きだった。それが、あまり買わないように抑えにかかったら、親子喧嘩みたいになった。それで、会社も黒字にしたので、離れることにした」

 その後の身の振り先は?

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