日本IBMは5月15日、56年ぶりに外国人が社長に就き、大きな転換点を迎える。かつて「日本化路線」で国内のコンピューター市場をリードし、IBMのノートパソコンの世界共通製品「シンクパッド」の原型機を送り出して存在感を示した同社も、売上高はこの10年間で半減し、グループ内での地盤沈下が目立つ。新社長が掲げるのは「グローバル化の徹底」。独自路線からかじを切って再浮上を目指す姿は、日本経済の沈滞ぶりを象徴するかのようだ。
成長支えた独自路線
「グローバルに存在するIBMの経営資源を日本に持ってくる上で最もふさわしい人材だ」
3月30日、橋本孝之社長はトップ人事の発表会見で、次期社長が日本人ではなかった理由を質問され、そう切り返した。次期社長に決まった米IBMの経営戦略を担当するドイツ出身のマーティン・イェッター副社長(52)も「ビジネスのグローバル化は自然な流れ。国籍を問わず優秀な人材を登用する必要がある」と強調した。
だが、かつての日本IBMは外資系企業でありながら、国内に根差した先進的なビジネス展開で黎明(れいめい)期の国内IT市場をリードし、米本社とも対等に渡り合う実力を備えていた。
世界の先駆けとなった製鉄所向けの生産管理システムをはじめ、銀行の基幹業務システム、言語の壁に直面しながら10年がかりで完成させた新聞制作システムの開発では、IBMの統一ルールに反する日本固有の商慣行を米本社に認めさせるため、激しい応酬があったという。
(次ページ)薄れる存在感 主たる要因は「脱ハード戦略」