東日本大震災直後の4月上旬に仙台市の被害状況を視察する小林健社長(左)【拡大】
《2011年3月の東日本大震災直後の4月7日には被災地を視察し、中旬には100億円で震災復興支援基金を設立する決断を下した》
「大変だった。とにかく、東北にも支社があり、関連会社で被災された方もいる。グループのビール会社も大きな影響を受け、なるべく早く現地に行こうと考えていた。テレビで見るよりも実際に現場を見るとかなりショックで、原発事故を抜きにしてもまさに国難であると感じた」
「何かせないかんと思い、社員にもメッセージを出した。それは何かというと、日本の企業としての社会的存在であり、責任である。グローバルな展開をしていても、三菱商事は日本の企業で日本人がたくさん働いている。だから、その社会が難儀をしているときには何かしなくてはいけない。企業は法人であり、人格を持っている。われわれは経済価値だけではなく、社会価値も考えていこうと経営計画にも入れているので、やっていこうと決めた」
「私の背中を押したのは、われわれは日本人であるということと、(震災で見た)現実だった。日本人である以上、何かをしなければならない。そう考えたまま東京に帰り、さて何をするか。会社の経営として、収益の規模感からみて、どれくらいの規模でどういうことをやるのか。基金の金額の規模は自分で決めたが、何をするか。100億円を寄付して何もしないのも一つだけどそうではないと感じた」
「現場を見てきたらいろいろやることはある。就学困難な学生への緊急支援の奨学金、NPO(特定非営利法人)などを後押しする復興支援助成金、グループ社員によるボランティア活動、まずはこの3つの柱でやろうとなった。そして始めたら復興するまでやらなくてはいけないと思い、トップダウンでやった。みんな協力してくれて、経営会議も取締役会も1週間で決まった」