独立系PR会社のベクトルで取締役を務め、中核事業会社のプラチナム社長を兼ねる吉柳さおりさんは、1990年代からPRウーマンとして活躍してきた。数々の難問に直面しながらも、日本に真のPR文化を根づかせたいと、顧客企業のPR戦略立案を支援。一方で、後進の指導にも力を尽くしてきた。
◆アルバイト経験契機
大学生のとき、友人からアルバイトをしないかと誘われた。東京に進出したばかりのベンチャーで、PR事業に乗り出そうとしているという。仕事内容はよく分からなかったが、おもしろそうだと二つ返事でOKした。それがベクトルだった。
今でこそベクトルグループは350人近い社員を擁する大手だが、当時は吉柳さんを含めても4人。事実上の創業メンバーだった。映像事業の一環で、人気バラエティー番組「ASAYAN」の制作に加わり、女性アイドルグループのオーディション事務局などを任される一方、「会社四季報」に掲載されている企業に片っ端から営業電話をかけるなど、新規顧客の開拓に奮闘した。
「寝る暇もないほど働き、ノウハウも経験もないので勢いだけが頼りだったけど、すごく楽しかった」。以前は弁護士や料理研究家が夢だったが、いつしかPRの仕事を天職と思うようになり、大学卒業とともに正社員となった。