■働く人の疲れ癒やす“楽しさ”提供
1960年代の半ば。日本はまだまだ貧しいながらも高度経済成長に沸いていた。経済を牽引(けんいん)するのは工業。その舞台となった大都市圏の旺盛な人材需要は、地方からの“集団就職”という形でまかなわれた。東京は活気に満ちあふれていた。日に日に良くなる日本経済。64年の東京五輪はその象徴でもあった。68年にはGDPが西ドイツ(当時)を上回り、日本はいよいよ米国に次ぐ世界第2位の経済大国へと駆け上がっていく。
ちょうどその頃、サミー創業者で現会長の里見治氏は、東京・板橋にあった実家の豆腐店の軒先でアミューズメント機器の販売を始めた。厳密に言えば、これがサミーの始まりだ。その約10年後となる75年。里見氏はアミューズメント機器の製造・販売を手掛けるサミー工業を設立した。
それから40年。サミーの歴史は、日本の近代アミューズメント産業、レジャー産業の歴史と合致している。決して順風満帆とはいかなかった黎明(れいめい)期を経ながらも、日に日に豊かになっていく日本人の余暇需要と向き合い、社会や人々の生活を豊かにする“楽しさ”の提供に奔走してきた。同社は今や、ゲーム関連から遊技機事業まで手掛ける総合エンターテインメント企業グループを形成するまでに発展。こうした中で、現在のサミーは主に遊技機事業を手掛けている。