80年代に入り、フィーバー機(パチンコ)の登場で遊技業界全体が活気付くなか、当時専務であった松元邦夫氏(現・代表取締役会長)は、かねてから「うちの遊技機をパチンコホールの真ん中で勝負させたい」との思いからほどなく、87年、ついにパチンコ機の開発に着手。89年、同社第1弾となるパチンコが市場デビューを飾った。
◆07年に「JASDAQ」上場
90年代にパチンコメーカーとしての実績を着実に積み上げ、2000年には松元邦夫氏が社長に就任。その翌年、本社を大阪市中央区に移転し、パチスロ機の開発も開始。また、総合遊技機メーカーとしての実績が着実についてきたことで、07年2月には、ジャスダック証券取引所(現・東京証券取引所JASDAQ)に上場。今年、藤商事は株式会社としての創立から50年の節目を迎えるが、ものづくり企業として「あくなき挑戦」を続ける同社の姿勢が“次世代の遊技産業”にどのような変化をもたらすのか。今後の展開が注目される。