■一方的な海洋進出 国際社会への責任欠落
古代中国の4大発明といわれるものに、羅針盤、紙、火薬、印刷術がある。2008年に開催された北京オリンピック開会式のセレモニーでも、この4大発明がテーマとして大々的に取り上げられ、派手な映像で紹介されていたのを覚えている方も多いのではないだろうか。
ロバート・テンプル著「図説中国の科学と文明」(河出書房新社)によると、私たちが暮らす「現代世界」を支えている基礎的な発明・発見の半分以上が、中国に由来しているという。4大発明に数えられる羅針盤だけでなく、舵(かじ)や複数マストなどの船舶と航海を支える航海技術が、中国から西洋に伝わっていなければ、コロンブスはアメリカ大陸まで到達することができなかった。つまり大航海時代を支えたのは中国が発明した航海技術のおかげだという。
確かにコロンブスが新大陸を発見したのは1492年で、これに先立つ05年に明の第3代皇帝永楽帝の時代に鄭和(ていわ)の大艦隊がインドの西岸カリカットに向けて派遣されている。鄭和は雲南省出身のイスラム教徒で、宦官として永楽帝に仕えていた。
この鄭和がアラビア海に面したカリカットに到着したのは、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマが到着した98年より1世紀近くも前ということになる。鄭和の艦隊の規模は2万8000人ともいわれ、コロンブスの艦隊の乗組員の編成規模が120人とされるのと比べるとその規模の大きさが分かる。「宝船(ほうせん)」と呼ばれる艦隊の中核の船は、全長が150メートルという巨大なものだったらしい。
鄭和の大艦隊は永楽帝の時代に6回、第5代宣徳帝の30年に1回、合わせて7回航海に出ている。鄭和艦隊はペルシャ湾の港湾都市ホルムズやアフリカにも到達し、キリンやライオンなどの珍しい動物なども持ち帰ったとされる。