水木良光氏によって鍛えられた薬研藤四郎の写し(臼木良彦氏提供)【拡大】
「切れ味は鋭いが主君を傷つけない主君思いの刀」と評判になり、足利将軍家を初め、松永弾正や織田信長といった武将が所有した。信長とともに本能寺で焼け落ちたとも、信長の後は豊臣秀吉を経て徳川将軍家が所持したとも言われているが、現代にいたるまで確かな消息はわかっていない。
刀剣界には「写し」と呼ばれる技法がある。これは手本となる刀(本科)をもとに寸法などを手本に忠実に再現するものだ。刀身に別の刀の持ち手の部分を溶接して有名な刀匠の作品に見せかけるなど手口が悪質な「贋作」とは異なり、「写し」は純粋に作品としての再現を目標にする。刀鍛冶になってまだ約6年という水木さんにとって、名刀「薬研藤四郎」は初めて挑む「写し」だった。販売価格は非公表とのこと。
「薬研藤四郎」の絵図が描かれた「太閤御物刀絵図」をもとに、刀の長さや幅などを割り出し、絵図通りに作刀した。
吉光が鍛えた藤四郎シリーズは刀身に彫刻などが彫られることも多いが、名刀「薬研藤四郎」は飾り気がない。「何も彫らなくとも元々が美しいからあえて何も彫らなかったのでは。鍛錬された鋼の素材そのものが持つ美しさを出すよう心がけた」と水木さん。