■母を介護した奇跡の10年 もっと一緒にいたかった
フリーアナウンサーの町亞聖さんは大学受験を控えた18歳のとき、母親の広美さんがくも膜下出血で倒れた。介護生活は、広美さんが末期がんで亡くなるまでの10年に及んだが、町さんは「多くの気づきをくれた奇跡の10年でした」と振り返る。(文 油原聡子)
「お姉ちゃん、起きて」。平成2年1月8日。高校3年の3学期の始業式の日でした。母の様子がおかしいと、妹に起こされました。「吐き気がする」と母は言っていましたが、意識もありました。夕方になっても良くならず、父が帰宅後、病院に行ったんです。
翌日検査すると、くも膜下出血と分かりました。私は学校から帰宅後、父と妹から説明を受けました。妹は「死んじゃうかもしれない」と泣きじゃくって。
手術を受ける前、病室で母は「心配かけてごめんね」と話していました。しかし、手術後、徐々に声がかすれ、右手と右足も少しずつ動かなくなって。10日後に脳梗塞を起こした母は、言語障害と右半身不随という重い後遺症を背負うことになってしまいました。