□政策研究大学院大学教授・工藤年博
■東南アジア最後のフロンティア 手つかずの5100万人市場
2011年3月にテイン・セイン政権が発足し民政移管して改革開放路線を歩み始めると、ミャンマーは国際社会で一躍脚光を浴びるようになった。世界の国々や企業が色めき立つのも無理もない。軍政で閉ざされた手つかずの市場が、民政移管により突如として国際社会に復帰したからだ。
◆経済特区が始動
ミャンマーは人口5100万で、日本の倍に近い68万平方キロメートルの国土を有する。豊富な労働力に加えて、天然ガスをはじめ鉱業、農業、林業の各資源に恵まれている。まさに「東南アジア最後のフロンティア」の出現だ。
民政移管直後は、世界各国の企業による視察ラッシュが続いた。日本企業も12年から13年にかけて視察が殺到した。当時、日本企業のミャンマー視察に対応した日本貿易振興機構(ジェトロ)のヤンゴン事務所は、ジェトロの海外事務所の中で最も忙しかったほどだ。
ところが、実際に足を踏み入れてみると、製造業にとっては肩透かしだった。産業インフラが脆弱(ぜいじゃく)で、特に電力が大幅に不足している。近代的な工場もほぼ見受けられない。「進出するにはまだ早い」と様子見を決め込む企業が多くを占めた。
そんななか、注目すべき動きが出てきた。ミャンマーの最大都市ヤンゴンから南に約20キロ(車で約1時間)に位置するティラワで経済特区の開発が始まった。日本政府とミャンマー政府の国家プロジェクトで、総開発面積は東京都品川区に相当する2400ヘクタール、水深9メートルのティラワ港に隣接する地域に電力や上下水道などの産業インフラを整備し、職住近接型の生産施設を外国から誘致する計画だ。