【視点】幕末期に山田方谷が描いた成長戦略 領民の生活向上を目指した改革 (1/3ページ)

2016.10.4 05:00

 □産経新聞論説委員・井伊重之

 雲の中に浮かぶ「天空の城」として最近、テレビや新聞でも取り上げられる機会が増えた備中松山城は、岡山県高梁市に位置する。日本三大山城にも数えられ、その力強い天守や石垣の姿は、現在放映中のNHK大河ドラマ「真田丸」のオープニングシーンにも登場する。

 この城を舞台に約160年前の幕末期、備中松山藩で先進的な改革を率いたのが山田方谷(ほうこく)だ。農民出身ながら財政を取り仕切る重役に抜擢(ばってき)された方谷は、10万両に上った藩の借金をわずか7年で返済し、新たに10万両を蓄財するスピード再建に成功した。

 江戸期に質素倹約や殖産興業などの藩政改革で窮乏財政を再建させた例は多い。だが、藩の財政が好転しても、領民の暮らしが改善しなければ本末転倒だ。方谷は藩士や領民を豊かにし、生活の底上げを通じて藩を富ませる「士民撫育(しみんぶいく)」を改革の基本方針とした。これは現代の成長戦略につながる改革の理想像だ。

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 方谷改革の真骨頂は、旧弊の打破にある。まず大坂蔵屋敷の廃止に踏み切った。当時の大坂は米売買の中心地で、諸藩は年貢米を貯蔵する蔵屋敷を大坂に構えていた。実際の売買は蔵元と呼ばれる商人に委託していたが、方谷はこの蔵屋敷を売り払って米を藩内に貯蔵し、自ら相場をみながら、なるべく有利な時に売却した。

 菜種油をつくる貧しい農家で育った方谷だけに、商品相場の重要性に早くから気づいていたのだろう。そして全国の米相場は、方谷が京都や江戸で陽明学を学んだ際の学友らから独自に取り寄せていた。

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