ここまで来るのには曲折をたどった。大学卒業後、1973年に富士通に入った篠田は一貫してPDPの開発に携わり、富士通研究所のトップ研究者「フェロー」に上り詰めた。その間、病魔に苦しんだ時期もある。ところが富士通は2005年、ディスプレー事業からの撤退を決め、PDP製造会社を共同出資相手の日立製作所に譲渡してしまう。
量産化めど 世界展開視野に
篠田が率いる開発チームは、既に新技術を使ったディスプレーの試作と動作確認を終え、製品開発に取り組もうという段階だった。衝撃は大きかった。
しかし、篠田はあきらめるつもりは全くなかった。「この技術は何百億円もの投資をしなくても実用化できる。まさにベンチャー向けの事業」と考えていたからだ。
篠田は2005年6月に篠田ディスプレーを設立し、07年3月に富士通を退職。チームの研究員10人のうち7人が行動を共にする。退路を断ち、篠田をリーダーに再挑戦が始まった。