松下幸之助歴史館の玄関に立つ幸之助氏の銅像=大阪府門真市【拡大】
このため津賀社長は経営改革に取り組み、創業者の故・松下幸之助氏が導入した事業部制を復活させた。事業ごとに開発、生産、営業を一元的に管理する仕組みだが、中村氏が「別々の事業部が同じ製品をつくるなど無駄が目立つ」と廃止した経緯がある。
脱テレビ依存を進め、浮き沈みの激しい消費者向けビジネスを中心とする経営体質からの脱却を目指し、比較的堅調な企業向けビジネス(BtoB)に経営資源を集中。航空機や住宅設備関連事業など成長ビジネスを強化している。
これら経営改革に社内では反発の声が根強かったといい、パナソニックOBは「抵抗勢力が反対の背景には中村氏が作り上げたプラズマ神話がある。津賀社長はその神話を壊すことにこだわった」と説明する。
大政奉還の亡霊
6月、プラズマへの大型投資や三洋電機買収などが巨額赤字につながったとして、経営責任を明確にするため大坪氏が会長職を退いた。10月には大坪、中村両氏の社長時代に重用された役員らは更迭、担当替えで影響力を急速に失った。