松下幸之助歴史館の玄関に立つ幸之助氏の銅像=大阪府門真市【拡大】
その過程では、津賀社長は社内の中枢情報を中村相談役に流れないように配慮し、「中村・大坪路線」の幕引きを進めたといわれる。
その中で唯一、中村氏は相談役にとどまった。前出のOBは「津賀社長はパナソニックが普通の会社でなくなったのは中村氏のプラズマ戦略だと思っている。相談役も退いてほしかったのが本音」と推察する。
ただ、事情に詳しい関係者は「大坪氏が会長退任を意思を表明した後、(創業家出身の)松下正幸副会長の会長昇格への待望論が出てきた。中村氏は平成12年に自らの社長就任で阻止した松下家への大政奉還の亡霊を復活させないため目を光らせる必要性を感じたのは」と説明する。
確かに、トヨタ自動車では21年に創業家出身の豊田章男社長が就任。グループの旗である豊田家に大政奉還し、初の連結営業赤字に転落した業績不振からの回復を全社一丸となって成し遂げた。