実用化にいち早く成功したのはナチス・ドイツだ。同盟国である日本は開発技術の入手に動いたが、潜水艦などを使った極秘輸送中に資料が散逸。日本の開発者の元に届いたのは1枚の断面図だけだった。
それでも、蓄積した研究成果や技術で補完し、ネ20は完成した。ネは「燃焼噴射推進器」の頭文字。日本生まれのジェットエンジンを作るという技術者たちの思いがこもっている。組み立ては、群馬県の農家の養蚕小屋などで行われた。
初飛行から8日後、日本は終戦を迎えた。日本初のジェットエンジンの開発はここでストップした。
作れなければ三等国
石川島重工が航空エンジン事業に復帰するのは54年。米ゼネラル・エレクトリック(GE)が開発したジェットエンジンの部品生産で技術提携した。当初は単純な交換部品の生産だったが、次第にライセンス生産も手がけていく。