--その後、金管、木管を含めてあらゆる楽器を手がけた
「西洋音楽を日本に根付かせたいという思いがあった。当時、西洋の楽器は舶来品だったため、日本の音楽のレベルを向上させるために、すべての楽器を作ろうとしたのだろう」
--楽器製造には人の感覚やノウハウに頼るアナログ的な部分もあるのではないか
「浜松にはもともと技術があり、(そういう部分を追求していく)職人かたぎを持った人が数多くいたことが大きい」
--創業以来、伝わるスピリットにはどんなものがあるか
「当社は1971年に半導体の製造を開始した。良い音を出せる半導体がなかったため、自分たちで作ってしまおうと考えた。東北大学の西澤潤一名誉教授の教えを受けながら、素人集団がゼロから手がけ、音源用LSI(大規模集積回路)を作り上げている。また、世界に先駆けてミキサーのデジタル化を進めてきた中で、デジタルミキサーに特化したDSP(デジタルシグナルプロセッサ)も内製している。多くの事業をほとんど素人の状態から始めたが、素人であるがゆえに、新しい発想を生かしたり、他の人がやらないことを手がけたりして成功した例が少なからずある。それが大きな強みになった」