「ブラザー×コメダ」異色の社長対談・後編 なぜ“海外経験”のある人が社長になるのか (2/5ページ)

 【小池】ジョン・リードは、あの時代の米国金融界の象徴でしたね。私は、入社当時から「この会社はオレが何とかしないとダメになる。ここなら社長になれるかもしれない」と思っていました。当時のブラザーは第二次オイルショック直後の不況で採用を手控えた時期で、少し上の世代も少なかった。でも最初に配属された職場で、日々の仕事をこなすうちに焦り始めました。このままでは年功序列で20代や30代が平社員のまま終わってしまう、と。そこで2年後に訪れたチャンスを生かし、年功序列を飛び越えるために米国駐在員に立候補して現地に渡ったのです。当初の赴任地はロサンゼルスだったので接点がありますね。

 【臼井】そうですね、米国の中でも日本人駐在員が多い地域でした。

 海外生活は「視野が広がる」

 【臼井】海外経験が出世に影響するかは、人によるでしょう。もし、有名大学を卒業して語学に堪能でも、コミュニケーションが苦手な人は、意識改革をしない限り、海外に行けば、突然、社交的になるとも思えません。ただし海外経験は、その後のビジネス人生に生きます。人種も違えば、学んできた教育、生活文化、食事内容も異なる人たちと一緒にビジネスを行うので、価値観も変わり、視野も広がるのです。

 【小池】私個人としては米国に渡ってから、販売、マーケティング、商品企画、財務、IT、ロジスティクス、顧客サービスなどさまざまな業務に関わり、多様な経験を積むことができました。そのおかげで現在の地位に就いたので、チャンスを与えてくれた米国には感謝しています。ただ、私はマネジメントができて、リーダーシップが発揮できれば、ビジネスは何でもよかったのです。

 【臼井】そこは同感です。

 【小池】小池毛織という会社を経営する一族の家に生まれ、一時は200人ほど従業員がいましたが、繊維の街・一宮の紡績業の羽振りがよかったのは子ども時代まで。しかも父親は6人兄弟の末っ子でしたので、その息子が入社したところで中核にはなれそうもない。先行きも厳しい業種でしたので、最初から他の進路を考えていました。大学の同級生は銀行や生保やマスメディアなどに進みましたが、1人だけ愛知県に本社があるブラザー1社のみを受けたのです。もともと海外志望はなく、出世への近道と考えて渡米しました。

社内公用語を「英語」にする気はない