「ブラザー×コメダ」異色の社長対談・後編 なぜ“海外経験”のある人が社長になるのか (5/5ページ)

 一方で職種によっては、今後ITや人工知能にとって代わられるものも多い。

 【小池】「ITや人工知能の進化で、将来はこれだけ仕事がなくなる!」という記事もよく見かけますが、メディアがあおるほど、そんなに次々に今の仕事がなくなるとは思えません。

 【臼井】職種によるでしょうね。

 【小池】企業人として出世したいのなら、仕事に対する当事者意識と、先を見つめる目も必要だと思います。私は「この会社は自分が(社長として)やらないとダメになる」と、新入社員時代から危機感を持っていました。当時の経営陣も同じ意識でいたので、業態転換もできたのですが……。現在の私は、日々の業務のPDCAサイクルを回しながら、「この会社が将来生き残るために何をすべきか」を考え、施策を打っています。

 【臼井】先ほど「意識」と言いましたが、「当事者意識の高さ」ですね。出世する人は、若いうちから日常業務をきちんとこなしつつ、課長や部長の目線で考えています。

 【小池】企業の競争もそうですが、個人も「他人と同じことをしていては勝てない」。立場が変われば、交流する相手も変わります。山の上のように“見える景色”が変わるのです。

 ▼取材後記

 小池氏と臼井氏の対談を企画したのは、名古屋企業の経営者だけではない。長年2人を取材して感じた“知的ヤンチャ”な一面が、読者の参考になるのではと考えたからだ。

 両氏とも学業成績は優秀だったが、生真面目な優等生タイプではない。思ったことを口にするが、細心な一面もある。平穏な時代なら「ユニークな名物事業部長」で終わったかもしれない人材が、経営のかじ取りを担う激動の時代--。今後の参考になれば幸いだ。

 小池利和(こいけ・としかず)

 ブラザー工業 社長。1955年愛知県一宮市生まれ。実家は小池毛織(当時)の一族。早稲田大学政治経済学部卒業後、79年にブラザー工業に入社。米国駐在を希望して自ら手を挙げる。82年ブラザーインターナショナル(U.S.A)に出向し、渡米(その後、滞米生活は23年半に及ぶ)。主力がタイプライターから情報機器に移るなか、米州プリンティング事業の拡大に尽力した。44歳で同社社長に就任。2005年に帰国し、本社常務。07年にブラザー工業社長に就任。米国時代からの愛称は「テリー」。社内ブログ「テリーの徒然日記」を発信し続け、連載1000回を突破。休日はブログのネタづくりを兼ねて社寺探訪や野球観戦などを行う。

 臼井興胤(うすい・おきたね)

 コメダ珈琲店 社長。1958年愛媛県松山市生まれ。小学校を転々とし、主に東京育ち。都立富士高校から防衛大学に進学。中退後に一橋大学に入学して同校卒業後、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)でMBA取得。本社企画部勤務などを経て、ゲーム会社のセガに転職。以後ベンチャーキャピタル、ナイキ、日本マクドナルドCOO(最高執行責任者)を経て、セガに復帰して社長に就任する。グルーポン東アジア統括副社長を歴任した後、2013年7月にコメダ社長に就任。休日の気分転換は早朝に大型バイクで疾走することと渓流釣り。

 (ブラザー工業 社長 小池 利和、コメダ珈琲店 社長 臼井 興胤 司会進行・構成=高井尚之(経済ジャーナリスト) 撮影=上野英和)(PRESIDENT Online)