愛川町は町内の半原地区を中心に江戸時代から撚糸(ねんし)業や織物業などの繊維産業で栄えた。町を流れる中津川が気温や湿度など、生糸の製造に適した環境を生んだといい、明治期には川沿いに撚糸機を動かすための水車が林立したという。そんな土地柄のなかで長らく営業していた3地区の有志が相談し、約80年前に誕生したのが同社だ。
この一帯は「撚糸の里」として名をはせたが、昭和期中盤以降、中国などからの輸入品が出回るようになると衰退する。後継者不足も相まって、倒産や廃業が相次ぎ、バブル崩壊を経て、町内で存続する織物製造業者は同社を残すのみとなった。
業界の衰退という逆風のなかでも、同社が安定経営を実現してきた背景には、経営効率化と商品開発へのたゆまぬ努力がありそうだ。
その一つが国内外の生産のすみ分けだ。ベトナム・ホーチミン市の工場では最新式の高速織機を導入し、量産による低価格帯の商品を生産。一方、国内では、旧型織機を使い、高価格帯の商品を生産している。
旧型織機をあえて使うのは、高度なプログラムが組み込まれた最新式織機はカスタマイズ性が低いという理由がある。旧型織機は、自分たちの手で改造しやすく、生地作りに、これまで培ってきた職人の技術を反映させやすいのだという。
自社製品でも飛躍
また、ニーズに合わせて高価格帯商品を多品種小ロットで作るためには、最新式織機では人件費が割高となることも試算によって判明した。そのため、当初国内向けに導入した最新式織機を迷わず国外用に転換したという。思い切った経営判断と試行錯誤を重ねたことで苦境を乗り越え、いまは、飛躍への土台が築かれようとしている。