日本からGAFAが生まれなかった根本原因とは 経営用語の盛衰で見る歴史的変化 (4/4ページ)

日本企業が絶頂期の裏側でなにが起きていたか

 1970年代の前後。これはどのような時期だったか。日本はこの時期に、高度経済成長を果たし、バブルともいわれる空前の好景気に酔っていた。

 一方でこの時期以降、ITを用いた革新的なビジネスモデル、あるいは新しいスタイルで経営を行う企業が続々と登場していく。早くも1965年には、IBMが当時としては画期的だったシステム/360をリリースする。それ以降、大型コンピュータを本格的に導入する動きが、政府や企業で相次ぐ。

 1975年にはマイクロソフト、1976年にはアップル、1977年にはオラクルといった企業が誕生する。インターネットの商用利用については、1990年代を待たなければならないが、1980年代には先行して社内ネットワークの利用が本格化していく。

 グローバルに見てこの時期は、日本企業の絶頂期だった。「アメリカを追い抜いた」との主張も珍しくなかった。しかしその成果を支えていたのは、ジャパン・クオリティ、すなわち工業製品の高い品質だった。日本企業が優れていたのは、戦略を大胆に組み替えるマネジメント能力ではなく、製品の改善を素早く行い、着実に品質を高めていく組織の管理能力だった。

「ものづくり大国」を標榜していた日本の時代遅れ

 同じ時期に、アメリカをはじめとする英語圏の人々の関心は、第3次産業革命に反応したものへと変化していた。新たなビジネスへの関心の高まりの核心は、組織ではなく市場、管理ではなくマネジメントだった。Google Books Ngram Viewerを使うことで、このような転換が生じていたことが確認できる

 しかし日本は、この転換を横目に「ものづくり大国」を標榜していた。結果はどうだったか。携帯型音楽プレイヤーにおける日米の企業間のマーケティング競争が、21世紀の幕開けの時期に勃発する。アップルはiPodで、インターネット経由の音楽利用の新たなスタイルを切り拓いていった。これに対してソニーは、ウォークマンの音質の高さで対抗した。

 アップルは市場を飼いならすことに挑み、ソニーは組織のなかで品質を磨くことに注力した。そして軍配はアップルにあがった。今にして思えばこれは、成長企業のあり方の歴史的な転換を象徴するできごとだった。

 GAFAを生んだアメリカと、日本の逆転。日本企業の絶頂期にあってアメリカではすでに、ビジネスをめぐる人々の関心のシフトが広がっており、この知的潮流のなかから、GAFAをはじめとする新しいビジネスの実践に挑む企業家群が生まれていった。社会における知識のダイナミズムが、ビジネスの歴史を動かしていくのだと思わされる。

 栗木 契(くりき・けい)

 神戸大学大学院経営学研究科教授

 1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『デジタル・ワークシフト』、『マーケティング・コンセプトを問い直す』、などがある。

 (神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契 写真=iStock.com)(PRESIDENT Online)