しかし、それは進出企業のお手伝いと欧米の銀行が組むシンジケートローンにちょっと入れてもらうという程度でした。こんなことでは現地の金融機関と互角に戦えないと(84年に)買収したのが、バンク・オブ・カリフォルニア(現ユニオンバンク)で、中小企業や個人のマーケットを対象にしようと買収したのですが、不動産やM&A(合併・買収)向けの貸し出しが中心になってしまい、米国は日本より先に不動産バブルが弾けて赤字になってしまいました。
それで私は、3割ほどの人員削減と店舗の処分などに取り組みましたが、人種、性別、年齢、宗教などによって差別してはいけないというビジネスカルチャーですから、難しかったのを思い出します。再建して日本に帰ってきたら、日本でもバルブが破裂して、銀行界は橋本内閣のビッグバンで、フリー、フェア、グローバルという政策が打ち出された後、小泉内閣で不良資産の集中的な処理が行われました。
この後、三菱UFJ証券に行けといわれ、CEO(最高経営責任者)になりましたが、証券取引法が(07年に)金融商品取引法にかわり、市場での取引も公正になりました。ですから私は、こうした日本の金融・証券界のグローバルスタンダード化を身をもって体験させていただきました。