近代日本の礎を築いた「富岡製糸場」(群馬県)の世界文化遺産への登録が確実となった26日、地元は喜びに沸き、製糸場は観光客らでにぎわった。操業停止から27年。「産業遺産」が世界に認められるまでには、長い年月をかけ地道に啓発活動を続けてきたNPOやボランティアらの奮闘があった。
「運動がようやく実を結んだ。これからうれしさがだんだんとこみ上げてくると思う」。NPO法人「富岡製糸場を愛する会」の理事長、高橋伸二さん(73)がしみじみと語った。高橋さんは富岡市出身で、製糸場は高校時代の通学路。繭を煮る際のむせ返るような匂いが好きだった。
昭和63年、製糸場の操業停止を機に始まった製糸場の勉強会に参加。「ほとんどの市民の認識は『古い工場』程度で、関心を持たない時代だった」
勉強会は平成13年、任意団体「愛する会」に移行する。製糸場の元女性工員を迎えて講演会を開いたり、製糸場に関する著作を約千人に販売したりするなど、活動の幅を広げていった。
その活動に後押しされる形で15年、県が製糸場を世界遺産にする研究プロジェクトを開始した。高橋さんは23年に任意団体をNPO法人化し、現在は約1400人の会員を持つ。