織田作之助も愛した看板メニュー「名物カレー」 大阪・ミナミの「自由軒」

 
若女将の吉田純子さん。店内には名言とともに織田作之助の写真が飾られている

 大阪・ミナミの繁華街にたたずむ明治43年創業の「自由軒」は看板メニュー「名物カレー」で知られる老舗だ。大阪出身の作家、織田作之助(1913~47年)も常連で、代表作「夫婦善哉」にもそのカレーが登場する。当時と変わらぬ味は、今も多くの人に愛されている。(加納裕子)

 「夫婦善哉」に登場

 のれんをくぐると、昭和のレトロな雰囲気が漂う。店内の真正面に、ペンを握って机に向かう織田の写真が。その額には「トラは死んで皮をのこす」「織田作死んでカレーライスをのこす」と書かれている。

 「2代目店主の父が織田作さんにいただいたサイン入りの写真です。最初はそれだけを飾っていたんですが、父が感謝を込めてこの文章を考えました」と若女将(おかみ)、吉田純子さん(64)が説明してくれた。

 吉田さんがかつて2代目に聞いた話によると、織田は近くで買った本を懐に入れ、よくふらりと店内に入ってきた。隅の席に座り、小説の構想を練るように思案しながら静かに食べることが多かったという。

 昭和15年に発表した「夫婦善哉」には、遊蕩(ゆうとう)を繰り返す柳吉と夫婦げんかをした蝶子が、一人で自由軒に行く場面がある。

 《楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒(ここ)のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」とかつて柳吉が言った言葉を想い出しながら、…》

 苦労をさせられても、ほれた柳吉から離れられない蝶子の心情がじわりとにじむエピソードである。織田は自由軒で名物カレーを食べながら、このくだりを考えたのだろうか。

 名物カレーは、ご飯とカレーが混ざった状態で提供される。このスタイルは創業当時、ご飯を保温する設備がない中で熱いカレーライスを食べてもらおうと考案された。上に載せられた卵は当時、貴重品だったが「高価な食材を比較的安く提供して喜ばれました」と吉田さんは言う。

 運ばれてきた名物カレーをまず、そのまま口にしてみる。独自の配合でブレンドされたカレー粉の辛み、そして牛肉などのうまみが広がる。卵を全体に混ぜると口当たりがまろやかになり、最後にテーブルにある特製ソースを掛けるとパンチの効いた味に変わった。

 味の変化も楽しめるこのカレーを求め、織田だけでなく、大阪ゆかりの歌舞伎俳優や作家、芸人らが数多くのれんをくぐった。ただ、店は創業時のままではない。第二次世界大戦で焼失し、昭和22年に再建。その建物も老朽化し、建て替えられた。織田が書いた隣の娯楽施設「楽天地」は大阪歌舞伎座、千日デパートを経て現在はビックカメラに。街の風景も激変した。

 「だからこそ、昔ながらの味を守りたい」と吉田さん。親に連れられてカレーを食べていた子供が大人になり、恋人や子供を連れてきて、やがて年老いていく-。店を訪れる多くの人の人生が、100年以上続く店の歴史を彩っている。

                   ◇

 ■自由軒難波本店 大阪市中央区難波3の1の34、(電)06・6631・5564。午前11時半~午後9時、月曜休。名物カレー750円、エビの串カツ350円(税込)。セットメニューもあり。

                   ◇

 ご感想・情報

 ▽Eメール life@sankei.co.jp

 ▽FAX 03・3270・2424