昭和25年、高品質の梅を安定して生産できる品種を育成するため、みなべ地域で組織された品種選定委員会が、地元・南部高校園芸科の生徒らと協力。5年かけて品種選抜を行った結果、皮が柔らかくて果肉が厚い「高田梅」が選ばれた。選抜にかかわった南部高校にちなんで「南高梅」と命名され、40年には農林省に名称登録された。
その後、酒税法改正に伴う梅酒用の青梅や健康ブームによる梅干しが注目されたことなどにより、梅の需要が急激に拡大。「南高梅」は全国有数の一大ブランドとなり、和歌山県の梅産業は県内の産業全体に影響を及ぼすまでになった。
みなべ町は名称登録から50年を記念した式典を開催したり、東京などの首都圏に梅干しの試食コーナーを設けたりして、さらなる梅の消費拡大を精力的に進めているが、さまざまな課題にも直面している。
中でも、中国産梅干しとの競争は最大の課題だ。実は、中国や台湾などから輸入するようになったのは、昭和37年に国内産梅が凶作になったことがきっかけ。それが最近では、低価格の中国産梅干しの輸入が増えており、価格競争も激化している。