ほとんど無意識に線路へ足を下ろしかけて、はっと我に返った。線路を横切っていいわけがない! だってここはスイスだもの。
世界でも指折りといわれるスイスの快適な鉄道ライフは、たくさんのルールと乗客のマナーによって成立している。改札がない代わりに、不正乗車には高額な罰金が課せられたり、私語禁止の静かな車両が設定されていたり、指定された車両に自転車をそのまま持ち込めたりするのも、その一例だ。
しかし、見れば見るほど、この線路は簡単に横断できる。ホームは階段1段分くらいと低く、線路は2本しかない。ホームへの進入を禁止する厳重な柵がはりめぐらされているわけでもないし、通過する電車は1時間に数本ほど。
東南アジアのあの国なら、みんな迷うことなく渡っているはず。いや、むしろ物売りが線路脇に降り立って、待ち構えているかも。いろいろな風景が頭に浮かび、思わずにやけてしまう。
そんな私をよそに、下車した乗客はみな、線路を横切ることなど考えもしないようなそぶりで、一斉に地下道へと向かった。
そう、ここはスイス。スイスなのだ。そう自分に言い聞かせて、私もその後に続いた。
■取材協力:スイス政府観光局/スイス インターナショナル エアラインズ/スイストラベルシステム
■江藤詩文(えとう・しふみ) 旅のあるライフスタイルを愛するフリーライター。スローな時間の流れを楽しむ鉄道、その土地の風土や人に育まれた食、歴史に裏打ちされた文化などを体感するラグジュアリーな旅のスタイルを提案。趣味は、旅や食に関する本を集めることと民族衣装によるコスプレ。現在、朝日新聞デジタルで旅コラム「世界美食紀行」を連載中。ブログはこちら