プロスケーターの鈴木明子さん(大西史朗撮影)【拡大】
当初は自分が病気だとは受け入れられませんでした。「コントロールできていないだけ」と思うようにしていたのです。当時、両親は和食の料理店を経営。「食べる」のは人として基本的なことなのに、母が作った食事に手が付けられない。親不孝だと悲しく思いました。母からも「エネルギーのあるものを食べなさい」と言われ、脅迫のように感じていました。
8月には体重が32キロにまで減りました。疲れやすく、脂肪がないのでいつも寒気を感じていました。
スケートの練習もできず、焦りが募りました。シニア初のグランプリシリーズになるはずだったスケートカナダも辞退するしかありませんでした。
体重は一向に増えず、医師からは「30キロまで落ちたら入院しかない」。入院を拒む私の姿に母は、「この子から、生きる目標を奪ってはいけない」と思ったようでした。「まず、食べられるものから、食べよう」と言ってくれました。食事を取るという普通の生活ができず、劣等感と自己嫌悪しかなかった私を母が受け入れてくれた。これが回復のきっかけになりました。