
昭和59(1984)年、アバディーン兵器博物館(米メリーランド州)で、米軍のM4シャーマンと写る木元寛明さん(木元さん提供)【拡大】
「戦車戦」極めたスペシャリスト、M4から90式まで制覇
木元さんは昭和43年、防衛大学を卒業後、陸自へ配属。富士学校機甲科部で戦車小隊長、中隊長の教育を受ける。その後、第2戦車大隊長(第2師団)、第71戦車連隊長(第7師団)などで指揮官職を歴任した。
自衛官として一貫して“戦車戦”を極めたスペシャリスト、木元さんが初めて乗った戦車が、「ヒューリー」にも登場するM4の最終型だった。
木元さんはこのM4をはじめ、日本初の国産戦車61式、そして74式から90式へと、その時代を代表する陸自主力戦車を乗り継いできた。
「初の日本国産の61式は100%マニュアル操縦。旧式のM4もマニュアルでしたが、61式よりも操縦ははるかに楽でしたね」と木元さんは苦笑した。「74式でようやくオートマチックの操縦が採用。そして90式になり、完全オートマチック操縦や、走行中に目標をロックしながら射撃できる能力を備え、世界トップレベルの戦車となったのです」