“軍事機密の塊”戦車の魅力は世界不変 ハッチから顔出し「戦場の気配」読む (3/5ページ)

2016.8.11 17:05

昭和59(1984)年、アバディーン兵器博物館(米メリーランド州)で、米軍のM4シャーマンと写る木元寛明さん(木元さん提供)
昭和59(1984)年、アバディーン兵器博物館(米メリーランド州)で、米軍のM4シャーマンと写る木元寛明さん(木元さん提供)【拡大】

  • 昭和45(1970)年、61戦車で神宮パレードに参加したときの小隊長時代の木元寛明さん(木元さん提供)
  • 90式戦車が表紙に登場する「戦車の戦う技術」(サイエンス・アイ新書)の書影
  • 「なぜ戦車は100年間、生き延びてきたのか。そこに明快な理念があったからです」と木元さんは言う

 「戦車戦」極めたスペシャリスト、M4から90式まで制覇

 木元さんは昭和43年、防衛大学を卒業後、陸自へ配属。富士学校機甲科部で戦車小隊長、中隊長の教育を受ける。その後、第2戦車大隊長(第2師団)、第71戦車連隊長(第7師団)などで指揮官職を歴任した。

 自衛官として一貫して“戦車戦”を極めたスペシャリスト、木元さんが初めて乗った戦車が、「ヒューリー」にも登場するM4の最終型だった。

 木元さんはこのM4をはじめ、日本初の国産戦車61式、そして74式から90式へと、その時代を代表する陸自主力戦車を乗り継いできた。

 「初の日本国産の61式は100%マニュアル操縦。旧式のM4もマニュアルでしたが、61式よりも操縦ははるかに楽でしたね」と木元さんは苦笑した。「74式でようやくオートマチックの操縦が採用。そして90式になり、完全オートマチック操縦や、走行中に目標をロックしながら射撃できる能力を備え、世界トップレベルの戦車となったのです」

「外国の軍人とあいさつを交わす際、まず『あなたのブランチ(兵種)は?』と確認します」

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