「プレーで感謝示す」義足投手の誓い 障害と震災乗り越え甲子園へ

東日本大震災5年
練習試合で力投する釜石の沢田一輝投手=2016年3月8日午後、茨城県日立市(桐原正道撮影)

 20日に開幕する第88回選抜高校野球大会。「21世紀枠」で出場する岩手県立釜石高には、東日本大震災で被災した義足のサウスポー投手がいる。「これまで助けてくれた人たちに恩返しをしたい」。2年の沢田一輝(かずき)さん(17)は甲子園のマウンドを目指し、震災から5年となる11日、出発する。

 友人に背負われ避難

 5年前のあの日。小学校の卒業式を控えていた沢田さんは、岩手県釜石市の自宅近くで、自転車に乗って友人の家に向かう途中、下から突き上げるような激しい揺れに襲われた。

 「避難しよう」。友人宅に着くと、誰かがそう言い出した。緊急避難所は高台にある廃校だ。みんな、一斉に走りだした。

 ただ、沢田さんは右膝から下に障害を抱えて生まれ、2歳から義足を着けて生活してきた。素早く動くことは難しい。

 坂を駆け上がる友人たちから遅れだした。その時-。「おぶってやるよ」。友人の一人が、沢田さんに気づき戻ってきてくれた。「いつ津波が来るか分からないだろ」。断る沢田さんに、友人は「いいから乗れよ」と言い、沢田さんを背負い、避難所を目指した。

 間もなく押し寄せた巨大津波。野球を今も続けられるのは、友人をはじめ周囲の助けがあったからだと今も感謝している。

 だからこそ常に全力を尽くす。「一度グラウンドに入れば、障害は何の言い訳にもならない」。いくらつらくても「野球をやめたい」と思ったことはない。

 背中押した母の一言

 ただ、1回だけ「やめなくてはいけないかも」と思ったことはある。

 震災では、津波で自宅が全壊し、家族は仮設住宅での生活を余儀なくされた。岩手県大槌町にいた祖父は、家ごと流されて亡くなった。「中学校で野球を続ければお金がかかるし、仮設住宅では生活も制限される。みんな大変なのに自分だけ野球を続けていいのか」

 そんな沢田さんの背中を押したのは、母の秀子さん(48)だった。「あなたのやりたいことを続けなさい」。2003年夏に沢田さん同様、義足で甲子園に出場した愛媛・今治西高の曽我健太さんの存在を伝え、勇気づけてくれたりもした。

 今は、もう迷わない。

 「マウンドに立って、被災地だけでなく、同じような障害を持つ子供たちに希望を与えたい。そして、全力でプレーすることでこれまで支援してくれた全ての人たちへの感謝を示したい」。障害と震災。大きな壁を克服してつかんだ夢舞台を前に、力投を誓った。(五十嵐一/SANKEI EXPRESS