真実に口を拭う共産党は信用できぬ

佐藤優の地球を斬る
社会民主党全国大会で生活の党と山本太郎となかまたちの小沢一郎代表(左)らと野党共闘をアピールする日本共産党の志位(しい)和夫委員長=2016年2月20日、東京都千代田区(納冨康撮影)

 22日、政府は閣議で、日本共産党が破壊活動防止法(破防法)に基づく「調査対象団体」であるとする答弁書を決定した。

 <破防法は、暴力主義的破壊活動をした団体の活動制限などを定めているが、政府が調査対象の団体を明示するのは異例。答弁書では、共産党が「暴力革命の方針」を継続しているとの認識も示した。/鈴木貴子衆院議員(無所属)の質問主意書に答えた。答弁書によると、警察庁の認識として、共産党は「『いわゆる敵の出方論』に立った『暴力革命の方針』に変更はない」と明記。「敵の出方論」とは、共産党が唱えているとされる「権力側の出方によっては非平和的手段に訴える」との理念を指す。/さらに答弁書は、平成元年2月18日の衆院予算委員会で破防法の不当さを訴えた共産党の不破哲三中央委員会副議長(当時)の質問に対し、「敵の出方論があり得る」と述べた石山陽公安調査庁長官(同)の答弁を引用。「(石山氏が)答弁しているとおり」とし、現在も共産党が「暴力革命」を捨ててないとの認識を明らかにした。>(3月23日「産経新聞」)

 歴史に多くの未解明部分

 質問主意書に対する答弁書は、閣議決定を必要とするので、政府の立場を拘束する。最近、共産党は、議会を通じた多数派により「国民連合政府」を樹立するという方針を示して、野党への影響力を拡大して、権力奪取を狙っている。それに対して、政府は、共産党が依然として「敵の出方論」を放棄しておらず、ドイツ語で言う「ゲヴァルト」(直訳は暴力だが左翼系の人たちは、強力と意訳することもある)による権力奪取を放棄していないという見方を、現時点においてもしていることを確認した。この答弁書には、大きな政治的かつ歴史的な意味がある。日本共産党の歴史に関しては、数多くの未解明な部分がある。

 <共産党が破防法の対象となっている背景には歴史的な経緯がある。同党は昭和26(1951)年の第5回全国協議会で「日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがい」「武装の準備と行動を開始しなければならない」との方針を決定。「51年綱領」と呼ばれるこの方針に基づき警察襲撃事件などが相次いだ。/共産党は現在、「分裂した一方が行ったこと」と関与を否定しているが、33年に「51年綱領」を廃止。36年に民主主義革命から社会主義革命に至る「二段階革命」を規定した綱領を採択した。>(前掲「産経新聞」)

 武力革命路線時代の行動

 現在、共産党は、1950年代前半の「山村工作隊」「中核自衛隊」などを通じた武力革命路線を、いわゆる「所感派」と呼ばれる徳田救一書記長(当時)らの責任に帰しているが、説得力に欠ける。1956年の第6回全国協議会で、共産党は「所感派」と「国際派」の分裂を解消したが、武力革命路線に従事した「所感派」の人々も、共産党で要職を占めた。そのことに対する説得力のある釈明を共産党はしていない。

 また、日本共産党朝鮮ビューローのメンバー(後に朝鮮労働党に移籍する)たちが、武力革命路線時代にとった行動について、共産党は口を拭っている。また徳田救一氏時代の共産党は、沖縄独立論を主張していた。沖縄独立論を信じ、共産党に加わって人生が滅茶苦茶になった沖縄出身者もたくさんいる。筆者自身についても、2002年の「鈴木宗男疑惑」に際して、「佐藤優主任分析官の保管していた書類」なる怪文書を共産党委員長が用いて、記者会見で鈴木氏を非難する会見を行った。この文書は、私が保管していた文書とは異なる改竄(かいざん)が加わった謀略文書だった。この文書が、外務省に存在しないことは、当時の外務大臣も認めている。このあたりの都合が悪い真実について口を拭っている共産党は信用できない。(作家、元外務省主任分析官 佐藤優(まさる)/SANKEI EXPRESS