核爆発の特性や艦種の違いなどもあり、単純比較は慎むべきだろう。ただ、かつて日本が委任統治した海域で、日本の造艦技術の粋と意地を見せつけた、どうしてもそこに心が動く。実際、米実験チームの一員もこう唸(うな)ったという。
「海の古強者(ふるつわもの)は死せず」
ところで、海上自衛隊も受け継ぐが、帝國海軍は艦内に神棚を設(しつら)え「船霊(ふねだま)様」をお祀(まつ)りする。長門の艦内神社は長門国(ながとのくに、山口県西部)一宮(いちのみや)で、軍事と海上交通の神として崇敬される住吉神社(山口県下関市)より勧請(かんじょう)した。
長門国一宮を分祀(ぶんし)した長門が、捕鯨母船候補だったことに縁を感じる。旧長門国に属する長門市は古式捕鯨の、下関市は近代捕鯨の、それぞれ代表的基地。弥生時代の地元遺跡でも鯨の骨を使った器具が出土する。詩人の金子みすゞ(1903~30年)の生まれた、今は長門市に編入された村もかつて捕鯨で成り立った。この地方には鯨に戒名を付け、位牌(いはい)や鯨墓を作り、回向(えこう)する習わしがある。この鯨への慈しみはみすゞの詩作の原点となり《鯨法会(ほうえ)》《鯨捕り》といった作品を生む。
不思議なことに、実験3日目の深夜か4日目の未明に沈んだ長門26年の最期を、誰も看取ってはいない。沈みゆく姿を見られたくなかったのだろうか…。みすゞが26歳で服毒自殺せず、生きて鯨と長門の縁を知ったなら、物悲しい詩歌をこの世に残しただろうか…。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)