インドは中印戦争(1962年)前夜も、マハトマ・ガンジー(1869~1948年)ら独立運動の文民指導者の人気が高かった。英領時代に独立運動鎮圧に向け英国が創設した印軍は植民地主義の手先とみられ、独立後も政治への影響力が弱く、政治による軍の統制は容易だった。時の文民首相ジャワハルラル・ネール(1889~1964年)は当初、中国の膨張主義を警戒しつつ、むしろ積極的友好関係構築に邁進(まいしん)した。関係濃密化で平和を維持せんと欲したためだ。ところが、中印国境で哨戒中の印兵が戦死するや印世論は激昂(げきこう)し「ネールは軟弱」と非難はエスカレートしていく。選挙で選ばれる民主国家における政治家の多くは《民意》に媚びる。ネールは開戦を決心する。
多くの軍高官が「軍事環境の未整備」から「時期尚早」を唱えた。反対した軍人は解任され軍事法廷に立たされた。結果、印軍は旅団長2人を含め投射将兵の7割が戦死・行方不明か俘虜(ふりょ)となった。現実に死を賭(と)して戦う軍人は無謀な戦(いくさ)を避けるが、後方に居て血を見ない文民は蛮勇を振るう-ベトナム戦争(1960~75年)中の米国でも見られた政(官)軍関係だ。それでも文民統制は保たれたことになる。もっとも今尚(なお)、中国軍への劣等感を払拭できずにいる印軍の「損害」は、中印戦争における将兵損耗の比ではない。