武人の専門的知見を活(い)かせぬ悪しき文民統制は、首相や防衛大臣の側近くに絶えず自衛隊将官が陣取っていない日本でも見られる。古くは《湊川(みなとがわ)の戦い》を前に、戦上手の南朝・楠木正成(1294?~1336年)が京都を撤退し、敵方を京に引き入れた後に挟撃する戦法を主張するも、公家が「度重なる(仮御所への天皇)動座は体面が悪い」と退けている。楠木勢は壊滅し、楠公(なんこう)は自裁する。
誤りを繰り返す民意
シビリアンには、武官の対語《文民》の他《一般国民》という意味もある。民意なる権力が文民ネールに間違った決心を強制したように、一般国民も文民も歴史上誤りを繰り返す。武官も国家を葬る重大な過ちを犯すことは歴史に明白だが、エジプトやチュニジア、インドのケースは、シビリアンの過ちを軍がフォローした側面もある。
ナチス=国家社会主義ドイツ労働者党を産み落としてしまったのも民意だった。帝政ドイツが倒れワイマール民主制が打ち出されたが、民意を尊重する余り国民投票が乱発された。政治家は民意に操られ、首相も目まぐるしく交代。その政治不信の間隙(かんげき)を突いてアドルフ・ヒトラー(1889~1945年)という文民が大戦を指導した。