私が入院しないと決めたとき、母は私のことを失う覚悟もしたそうです。「もし、そうなったら、周りからはばかだと責められただろうね。でも、私がこの子を守り、戦うんだ」と決意したと振り返っていました。
あきらめず復帰した地
体重がなんとか38キロまで戻ったその年の秋、仙台へ戻ることがかないました。それでも、すぐにスケートができるわけではありません。
長久保先生から40キロに戻るまではリンクに立たせてもらえず、外を歩いたりして体力を回復させました。10月にリンクに戻っても、最初は筋力がないので自分の体すら支えることができませんでした。
シニアデビューの年だったのに予定していた国際大会もキャンセル。年が明けて1月の大学生の大会でようやく復帰できました。そして、夏の飯塚杯でファンの皆さんの前で演技できるまでになったのです。