間違いなく、彼らの戦意・錬度は乏しい。中国軍の脅威にさらされるわが邦には朗報だ。ただし《弱敵=我の安全》ではない。この種の若者が最前線で、指揮官や下士官に就くのは別の意味でアブナイ。
明治二十七八年戦役=日清戦争(1894~95年)中の海戦を例に採る。彼(か)の時代、目視できる距離での砲戦で、殺(や)らなければ殺られると体感できたし、血だるまになった戦友を見て復讐(ふくしゅう)心に燃えた。地獄から生還するには、命令に服し、持ち場を離れず、撃ち続ける以外にない。防衛本能の自然な発露でもあった。それでも、清国軍将兵の劣悪な指揮・統率や士気は戦史に詳しい。
ゲーム感覚で狂気炸裂
この点、現代戦の多くで敵は見えない。瞬時に襲来するミサイル・魚雷の航跡を電子画面やソナーで確認し、迎撃兵器や回避行動で応戦する。兵器の進化は同時に《不可避》まで計測し、訪れる死の時間をも事前に弾(はじ)く。むしろ、現代戦の方がパニックに陥り易(やす)く、持ち場を離れぬ胆力が不可欠になる。