退院から約半年を経た大学4年の春。もちろん、最初なので走り方もぎこちなかったのですが、両足で地を蹴り、体でスピードを感じることができて、とてもうれしかったです。「これで、自分も前に進める。乗り越えていけるぞ」と、明るい未来への期待に胸が膨らみました。
退院後はすぐに大学に戻りましたが、まわりはもう就職活動の準備にとりかかっていました。私は抗がん剤の影響でまだ頭髪もかつらでした。
友人たちとの環境の違いに、取り残されたような焦りが募る日々で、このときほどつらい気持ちのまま笑っていたことはありませんでした。それが年が明けて、最初は水泳から再びスポーツを始め、そして両足で再び走る感覚までつかめたことで、道が開けていった気がしたのです。パラリンピックという目標もでき、気持ちがどんどん前向きになっていきました。
母がかつてのような自然な笑顔を浮かべたのは、もっと先だったような気がします。私が義足になったことを完全に吹っ切って、陸上に夢中になってようやくだったのかなと。
そんな母が9月20日、60歳の誕生日を迎えました。当日はたまたま親しい人たちが東京五輪招致の最終プレゼンターを務めたことの慰労会を開いてくれ、母にも来てもらいました。